夜の浅草

本日は、浅草に宿泊。

昼間、あれだけいた人たちが、今は誰もいない。

静かな、浅草寺の境内で、友人とひそひそ話。
子供のことを思い出し、なぜか・・・。


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スカイツリーもきれいです。
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入谷鬼子母神 ~ 真源寺(しんげんじ) ~

江戸時代、万治二年(1659)光長寺二十世・日融(にちゆう)が当地に法華宗本門流の寺院を開山。鬼子母神を祀っていることで、入谷鬼子母神の名称で有名な寺院です。江戸時代の文人、大田南畝(おおたなんぽ)の社会風刺などを盛り込んだ短歌、狂歌の『恐れ入りやの鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺・・・』という洒落も有名です。鬼子母神は、毘沙門天の部下で、八大夜叉大将のひとり、鬼子般闍迦(きしはんしか)の妻で、インド仏教上の女神のひとりです。もとは性質凶暴で、子どもを奪い取っては食べてしまう悪神でした。釈迦は鬼子母神の末子を隠し、子を失う悲しみを実感させ改心させました。以後、安産・子育ての守護神として信仰されています雑司ヶ谷鬼子母神堂、中山法華経寺とともに江戸三大鬼子母神として多くの崇敬を集めています。毎年七夕の前後、7月6日~8日までの三日間開催される朝顔市が開催されます。ここ入谷鬼子母神を中心として、言問通りに約120軒もの朝顔業者と100軒ほどの露店が並び、多くの人でにぎわうそうです。


宗派:日蓮宗〔法華宗本門流〕
山号:仏立山(ぶつりゅうざん)
寺格:
寺紋:
御本尊:三宝尊*
札所:下谷七福神(したやしちふくじん;福禄寿)
住所:東京都台東区下谷1-12-16
拝観:年中無休,10:00~17:00
拝観料:境内自由
電話:03-3841-2569
URL:なし。
アクセス:
・東京地下鉄日比谷線入谷駅2番出口から徒歩2分
・山手線「鶯谷駅」南口から徒歩5分


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本堂(ほんどう)

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福禄寿堂(ふくろくじゅどう)
下谷七福神の札所。

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日朝上人像(にっちょうしょうにんぞう)
日朝上人は、室町時代の日蓮宗の僧で、身延中興の三師と位置づけられています。

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句碑
境内には、ザクロの木陰に正岡子規らの碑があります。
夏目漱石のことをと詠んだ、『漱石来る 舜〔あさがお〕や 君いかめしき 文学士』(正岡子規)。そのほかに、『入谷から出る朝顔の車かな』(子規)、『朝顔も入谷へ三日里帰り』(この寺の日東という人)の三句が刻まれていました。

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 木が屋根を貫いているので、何か訳ありかと思いきや。
 ただ単に、木のほうが昔からあったので、軒先に穴を置けて立てたそうです。

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【御朱印】

「入谷鬼子母尊神」

 入谷鬼子母神では、子育ての善神になった由来からツノのない「おに」の文字を使っています。

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東の叡山 ~ 寛永寺(かんえいじ) ~

『静と動』

根本中堂の境内は、水を打ったように静か。
上野公園での賑わいがうそのよう。


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静かな堂内で、仏像を眺めていると心が落ち着く。少し眠りに落ちそう・・・。

一歩、お堂を出ると、突然、『ギャ~ッ』と、大歓声が。
何と、お堂のお隣は幼稚園。
子供たちの楽しそうな笑い声や叫び声で、境内の雰囲気が一変。
やっぱ、子供ってすごいな。



江戸時代初期の寛永二年(1625)、天海僧正(てんかいそうじょう)によって創建。天海は、徳川家康(とくがわいえやす)の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与し、黒衣の宰相(こくいのさいしょう)と呼ばれました。創建当時は徳川将軍家の祈祷寺(きとうでら)でしたが、後に菩提寺(ぼだいじ)も兼ねるようになりました。徳川家霊廟にあたる寛永寺墓地には、歴代将軍15人のうち6人が眠っています。幕府の保護の下、全盛期には30余りの堂塔と36の子院が立ち並んだが、伽藍の大部分は彰義隊の戦い(しょうぎたいのたたかい:上野戦争)や第二次大戦等によって焼失。戦災を免れた旧寛永寺五重塔など一部の遺構は、今も上野公園に残っています。


宗派:天台宗
山号:東叡山(とうえいざん)
寺格:別格大本山(別格大寺:関東総本山)
院号:円頓院(えんどんいん)
寺紋:
御本尊:薬師如来(秘仏)〔重要文化財〕
札所:江戸三十三箇所6番(清水観音堂)
花ごよみ:
住所:東京都台東区上野桜木1-14-11
拝観:年中無休。
(根本中堂・清水観音堂)9:00~16:00
拝観料:境内自由
電話:03-3821-1259
URL:http://kaneiji.jp/stroll/
アクセス:鶯谷駅南口より徒歩約5分。



清水観音堂(きよみずかんのんどう)〔重要文化財〕
本尊・千手観世音菩薩像(秘仏)を安置する。京都東山の清水寺を模した舞台づくりのお堂です。寛永八年(1631)天海大僧正により建立され、ご本尊には、清水寺より恵心僧都(えしんそうず)作の千手観音を迎えています。当初は、現在地より100mほど北方の摺鉢山(すりばちさん)上にありましたが、元禄七年(1694)に現在の地へ移築されました。

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旧寛永寺五重塔(きゅうかんえいじごじゅうのとう)〔重要文化財〕
寛永八年(1631)建立の初代の塔が、寛永十六年(1639)に焼失した後、同年ただちに下総古河城主・土井利勝(どいとしかつ)によって再建されました。塔は旧境内地を使って作られた恩賜上野動物園の園内に位置しており、昭和三十三年(1958)に寛永寺が東京都に寄付したため、現在の所有者は東京都になっています(名称に「旧」とつくのはそのためです)。塔の初重に安置されていた釈迦如来・薬師如来・弥勒菩薩・阿弥陀如来の四仏は、東京国立博物館に寄託されています。

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本堂(ほんどう)
根本中堂(こんぽんちゅうどう)。現在の堂は、寛永寺の子院・大慈院(だいじいん)のあった敷地に、明治十二年(1879)、川越喜多院(きたいん)の本地堂を移築したもので、寛永寺本来の建物ではありません。内陣には厨子内に本尊・薬師三尊像(秘仏)を安置する。堂内は非公開。

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了翁禅師塔碑(りょうおうぜんじとうひ)
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尾形乾山墓碑・乾山深省蹟 (おがたけんざんぼひ・けんざんしんせいせき)
乾山は江戸中期の陶工・絵師。琳派(りんぱ)の創始者である画家・尾形光琳(こうりん)の実弟です。画業のほかにも書・茶をよくし、特に作陶は有名で、正徳・享保年間(1711~35)、輪王寺宮・公寛法親王(こうかんほっしんのう)に従って江戸に下り、入谷(いりや)に窯(かま)を開き、その作品は「入谷乾山」と呼ばれました。関東時代には絵画にも精力をかたむけ、弟子を通して江戸への琳派普及の基礎をつくりました。月日の経過につれ、乾山の墓の存在自体も忘れさられてしまい、光琳の画風を慕う酒井抱一(さかいほういつ)の手によって探り当てられ、文政六年(1823)顕彰碑である「乾山深省蹟」が建てられました。

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慈海僧正墓(じかいそうじょうはか)〔都指定旧跡〕
墓石の正面中央に、聖観音菩薩の像を彫り右側には「当山学頭第四世贈大僧正慈海」左側に「山門西塔執行宝園院住持仙波喜多院第三世」、背面に「元禄六年癸酉二月十六日寂」と刻む。慈海僧正は、学徳をもって知られ、東叡山護国院、目黒不動、比叡山西塔宝園院、川越仙波喜多院を経て東叡山凌雲院(りょううんいん)に入りました。

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旧本坊表門(きゅうほんぼうおもてもん)〔重要文化財〕
通称、黒門。東京国立博物館東側の輪王寺にあります。寛永年間の建造物で、もとは現在の東京国立博物館正門の位置にありました。

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鐘楼(しょうろう)

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 境内の隅には、お地蔵さんの集団が・・・。

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上野戦争碑記(うえのせんそうひき)
明治維新のとき、現在の上野公園の一帯では、幕臣たちが結成した彰義隊と明治政府軍との間で、いわゆる「上野戦争」が行われました。この石碑は、「彰義隊」という名前を発案した人物として知られる阿部弘蔵(弘臧とも)が、上野戦争の経緯を記したもの。

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【御朱印】

(清水観音堂)
「千手観音」
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(根本中堂)
「瑠璃殿」
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徳川家康公を祀る神社~ 上野東照宮(うえのとうしょうぐう) ~

『かくれんぼ?』

狛犬さん、かくれんぼ中
徳川家康(東照大権現)が祀られているだけあって、金色で豪華な社殿でした。

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江戸時代、寛永4年(1627)、津藩主 藤堂高虎と天台宗僧侶天海僧正により、東叡山寛永寺境内に家康公をお祀りする神社として創建され、正保3年(1646)には正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。

旧社格:府社
主祭神:徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜
ご利益:
花ごよみ:
ぼたん苑 4月中旬~5月中旬,冬ぼたん 1月1日(木)~2月22日(日)
(気象条件により変動することがあります) 
住所:東京都台東区上野公園9-88
拝観:年中無休,9:00~16:30 (ぼたん苑)9:00~17:00
拝観料:境内自由。社殿拝観(社殿内非公開)大人 500円,ぼたん苑 大人 700円
電話:03-3822-3455
URL:http://www.uenotoshogu.com/
アクセス:JR上野駅公園口より徒歩5分。動物園となり/京成電鉄 京成上野駅池の溝口より徒歩5分。

大石鳥居(おおいしとりい)〔重要文化財〕
石材には備前の御影石が使用されています。関東大震災の折にも少しも傾かなかったほど工事が頑丈だったことは当時大変驚かれました。 寛永10年(1633)上州厩橋(じょうしゅうまやばし)城主、酒井忠世(さかいただよ)が奉納。忠世は当時の江戸幕府の重鎮。鳥居の高さは5.15メートル。
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水舎門(みずのやもん)
本来は門ではなく、社前右側にあった御水舎の上屋だけを昭和39年(1964)に門として移築された。慶安4年(1651)、老中、阿部重次(あべしげつぐ)が建築奉納したもの。
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石灯籠(いしどうろう)
200基以上あり、ほとんどが現在の社殿の建築の年、慶安4年(1651)に諸大名より奉納されたもの。
後方に見える塔は「旧寛永寺五重塔」。
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参道(さんどう)
参道の脇に、ツツジがきれいに咲いていました。
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神楽殿(かぐらでん)
屋根の勾配の美しさは都下随一といわれています。毎年お花見の時期には御神楽の奉納が行われます。 明治7年(1874)、深川木場組合奉納。
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「広島・長崎の火」モニュメント
参道の途中に、異彩を放つ記念碑がありました。
毎年8月、核兵器廃絶、平和を祈念して、「『広島・長崎の火』を永遠に灯(とも)す会」がモニュメント前で原爆投下の時間にあわせて「広島の火のつどい」、「長崎の火のつどい」が行われているそうです。
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水屋(みずのや)
水屋には大きな鈴が吊るされています。狛犬の石工、酒井八右衛門寄進の鈴だそうです。八右衛門は井亀泉(せいきせん)の名で江戸三大石匠と呼ばれた人だそうです。
水屋の後ろに並ぶのが、銅灯籠(どうとうろう)〔重要文化財〕。全48基あり、諸大名から奉納されました。
唐門両側にある6基は、内側より紀伊・水戸・尾張の徳川御三家より2基ずつ寄進されたものです。
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社殿(しゃでん)〔重要文化財〕
金色殿とも呼ばれており、参道側から拝殿、幣殿(石の間)、本殿の三つの部屋から構成される権現造りです。社殿外壁には豪華な彫刻が施されています。 文化財保護の為、社殿内は非公開。
社殿の東西南北を囲む格子柄の塀が透塀(すきべい)〔重要文化財〕です。菱格子(ひしごうし)の向こう側が透けて見えるのでこう呼ばれます。上段には野山の動物と植物、下段には海川の動物の彫刻が内外両面に200枚以上、 色鮮やかに生き生きと表現されています。社殿とともに、慶安4年(1651)造営。
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唐門(からもん)〔重要文化財〕
正式名称は唐破風造り四脚門(からはふづくりよつあしもん)。柱内外の四額面には左甚五郎(ひだりじんごろう)作の昇り龍・降り龍の彫刻があり、 毎夜、不忍池(しのばずのいけ)の水を飲みに行くという伝説があります。偉大な人ほど頭を垂れるということから、頭が下を向いている方が昇り龍と呼ばれています。上部の錦鶏鳥(きんけいちょう)・銀鶏鳥(ぎんけいちょう)の透彫は精巧で美しく、室町桃山時代の技術を集大成したものとして高く評価されています。 内側の透彫は諫鼓鳥(かんこどり)という中国の故事に由来し、皇帝が朝廷の門前に太鼓を置き、 政治に誤りがある時は人民にそれを打たせ訴えを聞こうとしたが、善政のため打たれることは無く、太鼓に鶏が住みつくほどであったと言う話に基づいています。 天下泰平の願いを込めて彫られたと考えられています。 慶安4年(1651)造営。
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【御朱印】

「上野東照宮」
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【境内図】
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當麻寺裏鬼門の守り寺院 ~ 當麻寺 西南院(たいまでら さいないん) ~

當麻寺・本堂の裏にあるためか、参拝者はごく少数。
おかげで、静かな庭で、小鳥の声をBGMに、の~んびり。

ぼたんの花があざやかに咲いておりました。
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當麻真人国見が麻呂子親王(まろこしんのう)によって草創された万法蔵院(まんぽうぞういん)を、飛鳥時代、白鳳12(672)年、百済の僧正恵潅(えかん)を導師に迎え當麻寺として遷造した時、坤(こん:裏鬼門)の守の寺院として創建されたのが始まりで、西塔の別当(管理者)となりました。その後、弘仁十四年に弘法大師が当院に留錫し曼茶羅堂において「いろは歌」を御想念された。この時より真言宗となり、法灯は守り続けられ、人々の厚い信仰を集めている。

宗派:高野山真言宗
山号:なし
寺格:當麻寺の塔頭
寺紋:
御本尊:十一面観音菩薩
札所:
関西花の寺二十五霊場21番(西南院)
仏塔古寺十八尊第8番(西南院)
花ごよみ:しゃくなげ 4月中旬~5月中旬,ぼたん 4月中旬~5月上旬,もみじ 11月中旬~12月上旬
住所:奈良県葛城市當麻1263
拝観:年中無休,9:00~17:00
拝観料:大人 300円,抹茶 500円,精進料理 2500円~(要予約)
電話:0745-48-2202(西南院)
URL:http://taimadera-sainain.or.jp/
アクセス:近畿日本鉄道南大阪線当麻寺駅下車徒歩15分

 境内は花でいっぱいです。
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 本堂の前の「ハンカチの木」に実がたくさんついていました。
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本堂(ほんどう)
本尊 十一面観世音菩薩(弘仁時代)〔重要文化財〕。そのほかに、聖観音菩薩(弘仁時代)〔重要文化財〕、千手観音菩薩(藤原時代)〔重要文化財〕が祀られています。
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脳天佛(のうてんぶつ)
首から上の願いを全て成就させていただけるそうです。
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庭園(ていえん)
江戸中期に、一音法印によって改修された池泉廻遊式庭園で、天平建築の西塔を東側に組み入れ、その優姿を池泉に落し、美しい陰影は絵画そのもの。春には新緑、秋は紅葉、冬は雪とその四季折々の景観を見せてくれます。水琴窟の涼やかな音色も楽しめます。
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書院(しょいん)
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 お茶を一服いただきました。
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【御朱印】

(関西花の寺二十五霊場)
「大悲殿」
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中将姫(ちゅうじょうひめ)伝説の寺 ~ 當麻寺(たいまでら) ~

 日本唯一の近世以前建立の三重塔、東塔・西塔が残るのお寺。両塔とも、もちろん国宝。
西南院のみはらし台から見る二塔は、直線上に並び美しい。

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                    (西南院のみはらし台より)


『中将姫(ちゅうじょうひめ)伝説』
中将姫は、奈良時代の右大臣・藤原豊成(ふじわらのとよなり)公の娘で、幼くして母を失い、継母(ままはは)に育てられました。しかし、継母から嫌われ、ひばり山に捨てられてしまいます。その後、父と再会し一度は都に戻りましたが、姫の願いにより当麻寺(たいまでら)に入り、称讃浄土経(しょうさんじょうどきょう)の一千巻の写経を達成し、十七歳で中将法如(ちゅうじょうほうにょ)として仏門に入り曼荼羅(まんだら:諸仏の悟りの境地を描いた絵図)を織ることを決意し、百駄(ひゃくだ)の蓮茎(ねんけい)を集めて蓮糸を繰(く)り、これを井戸に浸すと糸は五色に染まりました。そしてその蓮糸を、一夜にして一丈五尺(約4メートル四方)もの蓮糸曼荼羅を織り上げました。姫が二十九歳の春、雲間から一丈の光明とともに、阿弥陀如来を始めとする二十五菩薩が来迎(らいごう)され、姫は、西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど:阿弥陀如来の浄土)へ向かわれたと伝えられています。


飛鳥時代、推古二十年(612)聖徳太子の異母弟、麻呂子親王(まろこしんのう)が河内(かわち:現大阪府東部)に建立した万法蔵院(まんぽうぞういん)が起源といわれる。のちに当麻国見(たいまのくにみ)によって役行者(えんのぎょうじゃ)が開山した現在の地に移築されました。以来、二上山麓のこんもりとした麻呂子山を背に、堂塔と多くの塔頭寺院を連ね、中将姫にゆかりの深い寺としても名高い。
最初、三論宗でしたが、弘仁十四年(823)弘法大師が当寺に参籠(さんろう:おこもり)して、真言密教を伝えてから、真言宗となり、降って室町期に浄土宗が入ってから、真言、浄土宗の両宗が並立となりました。住職は、塔頭四ヶ院で真言、浄土、一年交替の輪番制をとっています。

宗派:高野山真言宗・浄土宗
山号:二上山(ふたかみさん)
寺格:
寺紋:
御本尊:当麻曼荼羅
札所:
・新西国三十三箇所11番
・関西花の寺二十五霊場21番(西南院)
・仏塔古寺十八尊第8番(西南院)
・大和十三仏霊場6番(中之坊)
・大和七福八宝めぐり(中之坊)
・法然上人二十五霊跡第9番(奥院)
・神仏霊場巡拝の道 第32番
花ごよみ:牡丹 4月末頃
住所:奈良県葛城市當麻1263
拝観:年中無休,(中之坊,伽藍三堂)9:00~17:00
拝観料:境内自由,(中之坊,伽藍三堂)各大人 500円
電話:0745-48-2001(中之坊)
URL:http://www.taimadera.org/
アクセス:近畿日本鉄道南大阪線当麻寺駅下車徒歩15分
御詠歌:
(新西国三十三箇所霊場)
「極楽を いずくととはば 大和なる まるこのさとに ゆきてたずねよ」



仁王門(におうもん:東大門(ひがしだいもん))

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梵鐘(ぼんしょう)〔国宝〕
日本最古。白鳳時代のもの。

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鐘楼(しょうろう)

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金堂(こんどう)〔重要文化財〕
内陣いっぱいに漆喰塗り、亀腹形の仏壇を築き、本尊の塑造(そどう)弥勒仏坐像〔国宝〕、乾漆(かんしつ)四天王立像などを安置する。この弥勒仏坐像は當麻寺がこの地に創建された白鳳十一年(681)と同時期に造像されたと考えられており、日本最古の塑像のひとつされています。鎌倉時代の再建。

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講堂(こうどう)〔重要文化財〕
金堂の背後(北)に建つ。堂内は梁行四間のうち中央の二間分に板床を張り、本尊 阿弥陀如来坐像、もう一体の阿弥陀如来坐像、妙幢菩薩立像(みょうどうぼさつりゅうぞう)、地蔵菩薩立像(以上重要文化財)のほか、多くの仏像を安置しています。鎌倉時代末期の乾元二年(1303)の再建。

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本堂(ほんどう:曼荼羅堂(まんだらどう)〔国宝〕
金堂・講堂の西側に、東を正面として建つ。内陣は須弥壇(しゅみだん)上に高さ約5メートルの厨子(ずし)〔国宝〕を置き、本尊の当麻曼荼羅〔国宝(非公開)〕を安置しています。左右(南北)端の桁行一間分は局(つぼね:小部屋)に分け、北側西端の間には織殿観音(おりどのかんのん)と通称される十一面観音立像〔重要文化財〕を安置しています。

 本堂には、中将姫が織り表したとされる曼荼羅(まんだら)が本尊として祀られています。
 堂内は暗く少し見にくいが、マンダラの大きさにはびっくり。

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中将姫像(ちゅうじょうひめぞう)

 本堂前の池に、ひっそりと立っておられます。何か寂しげ。
 ご苦労されたのでしょうね。

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石燈籠(いしどうろう)〔重要文化財〕
日本最古の石燈籠。白鳳時代に松香石(しょうこうせき)で作られたものといわれています。

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東塔(とうとう)〔国宝〕
三重塔で、総高(相輪(そうりん)含む)は24.4メートル。奈良時代末期の建築。初重が通常どおり三間であるのに対し、二重・三重を二間。日本の古塔で二重目の柱間を三間でなく二間とするのは當麻寺東塔のみです。屋根上の相輪には、一般の塔では「九輪」という九つの輪状の部材ですが、本塔では八輪になっています。さらに、相輪上部の水煙(すいえん)が、他に例をみない魚骨状のデザインになるなど、異例の点が多い塔です。なお、水煙は創建当初のものかどうか定かでない。

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西塔(さいとう)〔国宝〕
三重塔で、総高(相輪含む)は東塔よりやや高い25.2メートル。平安時代初期の建築。柱間は初重から三重まで三間とする。相輪は八輪になっていて、水煙のデザインは未敷蓮華(みふれんげ)をあしらったものです。初重内部は心柱の周囲に板を張り、そこに三千仏図と浄土曼荼羅図が描かれていた痕跡があります。大正期の修理時に、心柱頂部に舎利容器が奉籠されているのが発見されました。同時に発見された文書から、この舎利容器は建保7年(1219)に行われた修理時に納められたものであることがわかるが、心柱の地下ではなく頂部に舎利を納めるのは中世以前では類例が少ない。また、東塔はヒノキ材であるが、西塔はケヤキ材(一説にカリン材)が使われています。これも平安時代までの建築として広葉樹材が使われることは異例。

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宗胤院(そいにん)

 見事な藤の花が咲いておりました。

當麻寺の塔頭。浄土宗。山号は来仰山(らいごうさん)。享禄・天文時代を中心に當麻寺の営繕にたずさわった勧進聖の筆頭、宗胤上人を始祖とする寺です。

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【御朱印】

(新西国三十三箇所観音霊場)

 「蓮糸大曼陀羅(はすいとだいまんだら)」

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【境内図】

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三尾(さんび)の名刹のひとつ ~ 西明寺(さいみょうじ) ~

神護寺のお隣にある西明寺。
こちらの見どころは、みつばつつじの群落。
若干、見頃を過ぎてしまっているが、ツツジの紫が美しい。
毎年4月初旬頃には、山一面が紫色に染まるそうです。

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通称、平等心王院(びょうどうしんのういん)。平安時代、天長年間(824~834)に空海(弘法大師)の高弟 智泉大徳(ちせんだいとく)が神護寺の別院として創建したと伝える。その後荒廃したが、建治年間(1175~1178)に和泉国槙尾山寺の我宝自性上人(がほうじせいしょうにん)が中興し、本堂、経蔵、宝塔、鎮守等が建てられた。正応3年(1290)神護寺より独立した。永禄年間(1558 - 1570年)の兵火により堂塔は焼亡し、神護寺に合併されるが、慶長7年(1602年)に明忍律師(みょうにんりっし)により再興された。高雄山神護寺、栂尾山高山寺とともに三尾(さんび)の名刹として知られる。

宗派:真言宗大覚寺派
山号:槇尾山(まきのおさん)
寺格:準別格本山
寺紋:
御本尊:木造釈迦如来立像〔重要文化財〕
花ごよみ:紅葉の名所
住所:京都市右京区梅ケ畑槇尾町2
拝観:9:00~17:00,休日 12月31日~1月1日
拝観料:大人 500円
電話:075-861-1770
URL:
アクセス:京都市バス高雄下車、徒歩10分/JRバス槙ノ尾下車、徒歩5分

参道(さんどう)
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表門(おもてもん)
一間薬医門で、本堂と同じ元禄13年(1700)の造営。
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聖天宮(しょうてんぐう)
お金が倍になるという「倍返り守」が売られておりました。
桂昌院は、もともと西陣の八百屋の娘だったそうで、大根と巾着の幕が掛けられています。
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鐘楼(しょうろう)
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槇(まき)の木
自性上人お手植えの槙(高野槙)(鎌倉時代)。樹齢700年で、日本最古の槙の木の一本。
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本堂(ほんどう)
元禄13年(1700)に徳川綱吉の生母 桂昌院の寄進により再建(東福門院(後水尾天皇中宮)の寄進によるとする説もあります)。本尊は嵯峨釈迦堂で知られる清涼寺国宝釈迦如来立像を模して運慶によって彫られた高さ51センチの重要文化財の木像釈迦如来立像で中央の須弥壇に安置されています。脇陣には、木造千手観音立像・木造薬師如来坐像〔ともに重要文化財〕などが安置されています。
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【御朱印】

「釈迦如来」
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和気清麻呂(わけのきよまろ)ゆかりの寺 ~ 神護寺(じんごじ) ~

  「イイクニつくろう鎌倉幕府」の源頼朝の肖像画を所蔵していることで有名な神護寺。
(実は、源頼朝ではなく別人という説が有力なのだが・・・。

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広い境内に、かなり渋めのお堂が並ぶ。
それにしても、急な石段がキツイ。

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平安遷都の提唱者であり、また新都市造営の推進者として知られる和気清麻呂(わけのきよまろ)が国家安泰を祈願して建立した「神願寺(じんがんじ)」と、同じく清麻呂がこの地に建てた「高雄山寺(たかおさんじ)」を空海が天長元(824)年に、和気清麻呂の五男、真綱(まつな)、六男、仲世(なかよ)の要請により合併させて「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」と改めます。その後荒廃しましたが、平安時代末期、文覚上人(もんがくしょうにん)が後白河法皇や源頼朝の助力を得て復興します。応仁の乱で再び衰え、豊臣・徳川氏などによって漸次修営され、現在に至っている。


宗派:高野山真言宗
山号:高雄山(たかおさん)
寺格:遺迹本山(ゆいせきほんざん)
寺紋:
御本尊:木造薬師如来立像〔国宝〕
札所:
・西国薬師四十九霊場44番
・仏塔古寺十八尊第7番
・神仏霊場巡拝の道 第90番
花ごよみ:紅葉の名所
住所:京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
拝観:無休 9:00~16:00 
拝観料:大人 600円
電話:075-861-1769
URL:http://www.jingoji.or.jp/
アクセス:
JR京都駅、地下鉄烏丸線京都駅からJRバス「高雄・京北線」で約50分、「山城高雄」下車、徒歩約20分/
阪急京都線烏丸駅、地下鉄烏丸線四条駅から市バス8号系統で約45分、「高雄」下車、徒歩約20分
御詠歌:
(西国薬師四十九霊場)
「高雄山 衆生の病 癒(いや)さんと 願いあらたな 薬師まします」


硯石(すずりいし)
空海が神護寺で修行をしていたとき、嵯峨天皇が空海に「金剛定寺」の門額を書くよう勅使を送った。その時清滝川が増水していて勅使が渡ることができなかった。空海は、この石を硯石として,筆に墨を含ませ空に向かって字を書いた。墨は飛び散って,はるか向こうの金剛定寺の門額の文字として表れたという。

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楼門(ろうもん)
清滝川畔から石段の参道を上りつめた先に建つ正門。両脇に二天像を安置する。毘沙門堂などと同様、元和9年(1623)の建立とされる。

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書院(しょいん)

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宝蔵(ほうぞう)

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和気公霊廟(わけこうれいびょう)
かって和気清麻呂公を祀った護王神社があった跡に昭和初期に建立。楼門を入って右側、書院の奥。護王神社は京都御所近くに移築されている。

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鐘楼(しょうろう)
毘沙門堂などと同様元和9年(1623)の再建とされる。楼造の鐘楼。鐘楼にかかる銅鐘〔国宝〕は貞観(じょうかん)17年(875)の鋳造で、橘広相(たちばなひろみ)の序詞・菅原是善(これよし)の撰銘・藤原敏行の書で古来三絶の鐘のいい、著名である。

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明王堂(みょうおうどう)
神護寺に安置されていた弘法大師御作の不動明王は、天慶3年(940)に平将門の乱を鎮圧するため、寛朝僧正が関東に出開帳された。その地に、この不動明王をご本尊として成田山新勝寺が建立された。現在の明王堂のご本尊は平安時代後期に神護寺におさめられたと考えられる。明王堂の扁額は七代目市川団十郎の揮毫(きごう)である。

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五大堂(ごだいどう)
金堂へと上る石段の下に建つ。入母屋造の三間堂。元和9年(1623)の建築。

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毘沙門堂(びしゃもんどう)
五大堂の南に建つ。入母屋造の五間堂。金堂が建つ前はこの堂が金堂であり、本尊の薬師如来像もここに安置されていた。元和9年(1623)の建築。内部の厨子に平安時代の毘沙門天立像〔重要文化財〕を安置する。

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大師堂(だいしどう)〔重要文化財〕
毘沙門堂の西側に建つ入母屋造、?(こけら)葺きの住宅風の仏堂。空海の住房であった「納涼房」を復興したもので、現存するものは近世初期の再建である。内部の厨子に正安4年(1302)作の板彫弘法大師像〔重要文化財〕を安置する(大師像は秘仏で、11月1日 - 15日のみ開帳)。

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金堂(こんどう)
楼門を入って境内奥へ進み、右手の石段を上った先に建つ。入母屋造、本瓦葺きの本格的な密教仏堂であるが、建築年代は新しく、昭和10年(1935)に実業家山口玄洞(やまぐちげんどう)の寄進で建てられたものである。須弥壇中央の厨子に本尊薬師如来立像〔国宝〕を安置し、左右に日光・月光(にっこう・がっこう)菩薩立像〔重要文化財〕と十二神将立像、左右端に四天王立像を安置する。また、脇壇にも如意輪観音・地蔵尊・大黒天・弁財天の座像を祀る。

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龍王堂(りゅうおうどう)

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多宝塔(たほうとう)
金堂からさらに石段を上った高みに建つ。金堂と同様、昭和9年(1934)、実業家山口玄洞の寄進で建てられたものである。内部に五大虚空蔵菩薩像〔国宝〕を安置する(毎年5月と10月に各3日間ほど公開)。

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地蔵院(じぞういん)

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名物かわら投げ

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【御朱印】

(西国薬師四十九霊場44番)

「薬師如来」

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【境内図】

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佐伯のお薬師さん ~ 神蔵寺 (じんぞうじ) ~

  お寺に向かう途中、畑で囲まれた農道を歩く。
歩く先々で、サギが我が物顔(顔は見えませんが)で飛び交う。
かなり人に慣れているようで、農作業をする人の近くに降り立っても堂々としたもの。
道すがら、美しい花々とも出会い。適度な風も吹き。何とも気持ちいい。

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通称は佐伯薬師、稗田野(ひえだの)薬師ともいわれる。奈良時代、延暦9年(790)伝教大師最澄が比叡山寺(延暦寺根本中堂)を建立した頃、自らこの地を尋ね、自身で本尊 木造薬師如来坐像を彫り、天台道場として開創。以来、源頼光はじめ源氏一門の帰依崇拝篤く、大いに栄えた。

宗派:臨済宗妙心寺派
山号:朝日山(あさひざん)
寺格:
寺紋:
御本尊:木造薬師如来坐像〔重要文化財〕
札所:西国薬師四十九霊場43番
花ごよみ:梅,桜,紅葉
住所:京都府亀岡市稗田野町佐伯岩谷ノ内院ノ芝60
拝観:無休 9:00~17:00 
拝観料:(入山料(志納料))大人 300円
電話:0771-23-5537
URL:http://www.jinzouji.net/
アクセス:亀岡市ふるさとバス グリーンハイツ口停徒歩約20分(JR亀岡駅より京阪京都バスで、国道佐伯・バス停で乗換)/国道佐伯・バス停から徒歩30分/JR亀岡駅よりタクシーで約20分
御詠歌:
(西国薬師四十九霊場)
「あさひやま あかねさしいずる かげそいて だいひのちかい ひろきみちしば」



みかえり橋
入口にかかる朱塗りの橋。

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地蔵尊(じぞうぞん)

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山門(さんもん)

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 山門の手前で、こんな花が。

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境内はこんな感じ・・・。紅葉の時期は、真っ赤に染まるそうです。

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旧八幡大菩薩社(はちまんだいぼさつ)
昭和まで祀られていました。

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鎮守 八幡大菩薩(ちんじゅ はちまんだいぼさつ)

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瑠璃殿(るりでん)
本堂。江戸時代、承応2年(1653)、浄土宗の僧 願西(がんさい)により再建されました。
現在は、仮本尊として、釈迦如来座像が安置されています。

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 瑠璃殿前の賽銭箱(さいせんばこ)
本堂前にある賽銭箱は、『結縁の大賽銭箱』と呼ばれている。天正九年(1582年)に明智光秀が本能寺へ攻め込むために馬を返した場所(丹波摂津国境の山谷=亀岡市曽我部町)に桜の幼木があったそうである。平成二年に大木となったその桜が伐採されたのだが、この年は伝教大師が神蔵寺を開かれて千二百年目にあたるという因縁があったため、有志縁者によってその桜の木材を利用し、賽銭箱として奉納された。

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薬師堂(やくしどう)
東方閣(とうほうかく)。収蔵庫です。御本尊 薬師如来座像〔重要文化財〕、脇侍仏 日光菩薩立像,月光菩薩立像を安置する。防犯・動物害対策で、本堂より移しました。

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【御朱印】

(西国薬師四十九霊場43番)

「瑠璃殿」

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弘法大師が日本で最初に開山した密教寺院 ~ 東長寺(とうちょうじ) ~

駅への帰り道、朱色の美しい五重塔が目に入りで寄ってしまった。
境内には、「福岡大仏」なる巨大仏像もあり、ちょっと変わった雰囲気のお寺でした。
大仏の台座内に「地獄・極楽めぐり」というものがあるそうなのですが、時間がなく、御朱印をいただき、ダッシュで駅へ。
何とか、無事、新幹線に。??
次回はゆっくりと見にこよ~っと。

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平安時代初期、大同元年(806)、空海が唐での修業ののち帰国し、博多滞在の折に密教東漸(伝来)を祈願して建立したと伝える。ただし、初期の伽藍は大水道(呉服町)にありそこでの寺運は盛んだったという。その後、永禄・天正の兵火に焼け荒廃していたところを、近世に福岡藩2代目藩主の黒田忠之が、寺禄300石と山林15万坪(約50万km2)を寄せ、寺基を現在地に移して諸堂宇を再興させ菩提所とした。寺名は、空海が東に長く真言密教の教えが広く伝わるようにと、名付けられた。

宗派:真言宗九州教団
山号:南岳山(なんがくざん)
寺格:別格本山
寺紋:
御本尊:千手観音(重要文化財・秘仏),弘法大師(秘仏),不動明王
札所:九州八十八カ所第1番霊場,九州三十六不動尊結願霊場,九州二十四地蔵尊第22番霊場
花ごよみ:
住所:福岡県福岡市博多区御供所2-4
拝観:9:00~17:00 
拝観料:
電話:092-291-4459
URL:
アクセス: 博多駅から徒歩で10分 /地下鉄「祇園町」/西鉄バス「祇園町」「奥の堂」下車すぐ。


山門(さんもん)
門の両側には仁王像が安置されています。
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六角堂(ろっかくどう)
墓所の入り口にある。江戸時代に、博多の商人、太田万歳楼(おおたばんざいろう)が建てたもので、扉には聖福寺の禅僧・仙厓義梵(せんがいぎぼん)を始めとした有名人の自筆書画が刻まれている。この六角堂は、覆屋と回転式の仏龕(ぶつがん:仏像を安置する厨子)からなる仏殿で、天保13年(1842)、尾張名古屋居住の伊藤平左衛門守富の設計で建立されました。仏龕の各六面に弘法大師像・文殊菩薩像・地蔵菩薩像、薬師如来像・白衣観音像・北辰霊符神像が安置されています。
普段は開放されていませんが、毎月28日の不動護摩供えと博多ライトアップウォークの際に開帳されます。
市の文化財に指定されています。
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五重塔(ごじゅうのとう)
で美しい姿をみせています。5階の瓦のすぐ上にある相隣の伏鉢に空海が持ち帰ったと言われる仏舎利(釈迦の骨)が納められています。平成23年(2011年)春に完成。純木造総檜造。高さ23メートル。
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大師堂(だいしどう)
扁額には、十一面観音、聖天、摩利支天とありました。
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大仏殿(だいぶつでん)
入口にあった看板の写真です。

ここに安置する福岡大仏(ふくおかだいぶつ)は、昭和63年(1988)より彫刻が始まり、4年の歳月を経て完成。
木造(檜)坐像では、日本一の大きさの大仏です。膝上で両手を組む法界定印(ほっかいじょういん)を結ぶ。16.1mの高さをもつ光背は7仏や13仏も彫られ、後壁面には5000もの小仏が祀られている。像高10.8メートルは、人間の煩悩の数(百八とされる)にちなむものです。重さ30トン。その横には宝物展示室もあります。
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【御朱印】

「千手観音」
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博多祇園山笠が奉納される神社 ~ 櫛田神社(くしだじんじゃ) ~

久々の九州出張。
初めて、博多駅周辺を歩くが。
博多駅って、こんなに立派な建物あったっけ
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新幹線の出発を待つ間、博多駅周辺を散策。
駅から歩いて10分ほどで、博多祇園山笠で有名な櫛田神社に到着。
鳥居をくぐると、すぐに勇壮な楼門があり、格式の高さを感じさせる。
境内は、思ったほど広くないものの、御神殿も美しくいい感じ。


古くより博多の氏神・総鎮守として信仰を集めている神社です。中殿に大幡主大神(おおはたぬしのおおかみ)、左殿に天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、右殿に素盞嗚大神(すさのおのおおかみ)を祀る。
大幡主大神は、奈良時代、天平宝字元年(757)松阪にあった櫛田神社を勧請したのに始まるとされ、素盞嗚大神は天慶4年(941)年、藤原純友の反乱の鎮圧に当たった小野好古(おののよしふる)が神の助けを祈願し山城(京都)祇園社から勧請(かんじょう)した。天照皇大神についてはあまりに古くて記録にない。
中世、兵火に遭って度々、荒廃したが、天正15年(1587)、秀吉公が博多町割(復興)の実施とともに現社殿を建立、寄進した。

旧社格:県社・別表神社
主祭神:大幡大神(櫛田大神),天照皇大神,素盞嗚大神(祇園大神)
ご利益:商売繁盛、不老長寿
札所:
花ごよみ:
住所:福岡県福岡市博多区上川端町1-41 
拝観:年中無休,10:00~17:00
拝観料:境内自由
電話:092-291-2951
URL:http://www.hakatayamakasa.com/kushida.html
アクセス:博多駅から徒歩で15分/地下鉄「中洲川端駅」「祇園駅」から徒歩5分
 
楼門(ろうもん)
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座牛
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神馬像(しんめぞう)
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中門(ちゅうもん)
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拝殿・御神殿(はいでん・ごしんでん)
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霊泉鶴の井戸
長寿の象徴、吉兆の鳥として尊ばれている鶴3羽に囲まれた井戸。
案内板には、
「 一口目には、自分の不老長寿を
 二口目には、家族の不老長寿を
 三口目には、親類縁者の不老長寿を
心に念じながら三口でお飲み下さい」
とありました。
ただし、霊水には塩分が含まれていてしょっぱいのでご注意ください。
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大正天皇行幸記念殿(たいしょうてんのうぎょうこうきぜんでん)
大正5年(1916)、陸軍特別大演習に行幸の際に造られた「行在所(あんざいしょ)」の御用材を使い、当初は県庁内に造られたが、昭和31年(1956)、この地に移築される。行在所は、天皇が外出したときの仮の御所のことです。
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小便小僧(しょうべんこぞう)
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注連懸稲荷神社(しめかけいなりじんじゃ)
ご祭神は豊受比賣命(とようけひめのみこと:倉稲魂命(うがのみたまのみこと))」。御利益は、五穀豊穣、商売繁盛、鍛冶屋の神。
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末社
境内の案内板によると、末社が七社あるようです。
・松尾神社(まつのおじんじゃ):大山咋神(おおやまぐいのかみ)。酒造りの神。
・諏訪神社(すわじんじゃ):建御名方神(たけみなたのかみ)。武道の神。
・金刀比羅宮(ことひらぐう):大物主神(おおものぬしのかみ)。海上安全、航海の神。
・皇大神宮(こうたいじんぐう):豊受比賣神(とようけひめのかみ)。食べものの神。
・竈門神社(かまどじんじゃ):奥津彦命、奥津姫命(おきつひこのみこと、おきつひめのみこと)。かまどの神、炊事場の神。
 (上記合祀)淡島神社(あわしまじんじゃ):少彦明神(すくなひこなのかみ)。婦人病の神、医療の神。
 (上記合祀)白鳥神社(しらとりじんじゃ):日本武尊(やまとたけるのみこと)。鳥の神、防火の神。
・今熊野神社(いまくまのじんじゃ):伊弉冊命(いざなみのみこと)。家内安全の神。
 (上記合祀)手置帆負神社(たおきほおいじんじゃ):手置帆負命(たおきほおいのみこと)。工匠の神、林業の神。
 (上記合祀)少彦名神社(すくなひこなじんじゃ):少彦名命(すくなひこなのみこと)。病気平癒の神、温泉の神。
・松木天満宮(まつのきてんまんぐう):菅原道真公(すがわらのみちざねこう)。学問の神、書道の神。

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石堂宮
吾田片隅神、宗像三神(あたかたすみのかみ、むなかたさんしん)。国防の神。
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二十二社(にじゅうにしゃ)
ご祭神は二十二柱の天神地祇(てんしんちぎ:天地の神々)。御利益は、天候の神、旅行の神、山の神、田の神、海の神、開拓の神、武の神、相撲の神、織物の神、道祖神。
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夫婦恵比須神社(めおとえびすじんじゃ)
ご祭神は、事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)と玉櫛姫大神(たまだしひめのおおかみ)。御利益は、夫婦円満、大漁満足、海上安全、商売の神。男女二神の恵比寿様を祀る珍しい神社とある。
他に、下鰮町恵比須社(しもいわしまちえびすしゃ)、事大主命(ことしろぬしのみこと)も合祀しています。御利益は、大漁満足、海上安全、商売繁盛。
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飾り山(かざりやま)
御神殿の横には、博多祇園山笠の巨大な飾り山が置かれています。通常、飾り山は祭の期間しか見られないそうなのですが、こちらでは常設しているそうです。
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【御朱印】

「櫛田神社」
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筒城の大寺(つつぎのおおでら) ~ 大御堂観音寺(おおみどうかんのんじ) ~

鮮やかな黄色の光を放つ菜の花畑を、両手に見つつ参道を行く。

参道の奥にある小さなお堂。これが、観音寺さん。
かつては、奈良・興福寺の別院で、「筒城の大寺」と呼ばれた大寺院だったそうですが、今では・・・。
諸行無常ですな。

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別名は普賢寺、大御堂など。白鳳年間(7世紀後半)、天武天皇の勅願により法相宗の僧・義淵僧正(ぎえんそうじょう)が創建した観心山親山寺(かんしんざんしんざんじ)が始まりと伝えられる。その後、聖武天皇の御願により良弁僧正(ろうべんそうじょう)が伽藍を増築し、親山寺を取り込み、息長山普賢教法寺(そくちょうざんふけんきょうほうじ)と号し、天平16年(744)、十一面観音立像を安置したといわれている。その後、奈良の東大寺の僧・実忠(じつちゅう)が入寺し、宝亀9年(778年)には五重塔を建てたという。ちなみに、東大寺二月堂の十一面悔過会(けかえ)(通称お水取り)は実忠が始めたものとされる。法相・三論・華厳の三宗を兼ね、七堂伽藍は壮麗を極めて「筒城の大寺(つつぎのおおでら)」と呼ばれた大寺院であったと伝えられている。 奈良・興福寺の別院でもあったため藤原氏の庇護を受けて隆盛したが、幾度となく火災に見舞われ、永享9(1437)年の火事では、諸堂13、僧坊20余りを数えた建物のほとんどが失われ、大御堂だけが再建され現在に至っている。

宗派:真言宗智山派
山号:息長山(そくちょうざん)
寺格:
寺紋:
御本尊:十一面観音立像〔国宝〕
花ごよみ:菜の花畑と桜,紅葉
住所:京都府京田辺市普賢寺下大門13
拝観:年中無休,9:00~17:00(冬期は~16:30)
拝観料:志納料 400円~ 
電話:0774-62-0668
URL:
アクセス:JR・近鉄「三山木(みやまぎ)」駅下車徒歩25分/JR学研都市線・近鉄三山木駅から奈良交通バスで「普賢寺」下車、徒歩5分

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本堂(ほんどう)

ご本尊さまは、とっても柔和なお顔で、ちょっと女性ポイかも。
特に、指のしなやかで、やわらかい動きが表現されていて、今にも動き出しそう。
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昭和28(1953)年3月に再建された。単層で入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんかわらぶき)で南に面している。ご本尊 十一面観音立像は、天平仏(奈良時代中期)を代表する仏像で、全国に七体しかない国宝十一面観音のひとつです。    

地祇神社(ちぎじんじゃ)
鎮守社(ちんじゅしゃ)。大国主命など3柱を祀る式内社。
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【御朱印】

「本尊十一面大悲殿」
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