馬喰町の鎮守さま ~ 初音森神社(はつねもりじんじゃ) ~

 初音の馬場と呼ばれていた頃から約250年後の馬喰町。
   染物の干場や子供の遊び場となって、のどかな風景が広がっています。

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        (広重江戸百景 馬喰町 初音乃馬場)


鎌倉時代後期の元弘年間(1330年頃)、尹之大納言師賢(いんのだいなごんもろかた:藤原師賢)により創建され、文明年間(1469~86)太田道灌(おおたどうかん)によって社殿が建立されたと伝えられます。江戸初期まで馬喰町(ばくろちょう)初音ノ森(現在、中央区東日本橋に儀式殿を有する)鎮守として祀られ、初音稲荷と称していました。また、この地にあった森は初音の森と呼ばれ、鶯(うぐいす)が多く棲(す)んでいたことから、この鶯の鳴き声を初音と称したのに由来するといわれています。天文二十年(1551)社前に馬場ができ、初音稲荷にちなんで初音の馬場と呼ばれ、初午祭(はつうまさい)などには馬追などが行われたという。ここで馬を商うために博労(ばくろう:牛や馬の仲買商人)たちが集まったのが馬喰町の由来となりました。慶長五年(1600)、関ヶ原の戦いへ出陣する際、徳川家康は初音の馬場で軍勢を整え、当社へ代参の使者を遣わし戦勝祈願したといい、愛馬の三日月号に神井の水を飲ませて出発したことから、神井は「三日月の井戸」と称されました。しかし、浅草見附門(あさくさみつけもん)の建設のために社地の半分を削られ、さらに明暦の大火の後、郡代屋敷建設のため、万治二年(1659)、別当寺の東日山正明院西光寺と共に本所の現社地(墨田区千歳)に移されました。現・東日本橋二丁目の薬研堀不動院裏に鎮座する矢之庫稲荷神社の由緒書きによれば、矢之庫稲荷の前身である三社稲荷神社から、明治六年(1873)に新左衛門稲荷が、昭和九年(1934)には富福稲荷が遷座合祀されています。また、昭和五年(1930)に旧日本橋区横山町三丁目鎮座の寶録稲荷神社が合祀されたという。昭和二十三年(1948)初音の里の旧地に飛地境内社を建立し、さらに同四十八年(1973)神殿・儀式殿を備えたビルとなりました。日本一の繊維問屋街で商売繁盛の神様として信仰が篤い。 近年は、社号を共有する初音ミクの人気から、ミクの聖地のひとつにもなっています。


社格等:無格社
主祭神:豊受比売命(とようけびめのみこと:宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ))
神紋:
ご利益:商売繁盛、五穀豊穣 他
住所:
【本社】 東京都墨田区千歳2-4-8
【摂社】 東京都中央区東日本橋2-27-9 初音森ビル
拝観:年中無休。
拝観料:境内拝観自由
電話:03-3863-1308
URL:なし
アクセス:
【本社】
・JR総武線・地下鉄大江戸線「両国駅」 徒歩10分
【摂社】
JR総武線/都営浅草線「浅草橋」駅より徒歩約5分
JR総武線「馬喰町」駅より徒歩約6分



【本 社】


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石鳥居(いしとりい)
五箇町氏子中の刻銘がある。昭和三年(1928)11月の造立。

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社号標(しゃごうひょう)
寶録稲荷神社(ほうろくいなりじんじゃ)、初音森神社の社号碑が並ぶ。

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歌碑(かひ)
田部廼庵稲丸の歌。

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 『ここに来て聞くそ嬉しき葛飾の初音の森の鶯の声』

大幟立石(おおのぼりたていし)
三町目の刻銘がある。安政六年(1859)9月の造。

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手水舎(てみずしゃ)
文化九年(1812)9月造の水盤。

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本殿(ほんでん)

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狛犬(こまいぬ)
文政年間(1818~30)の造立。

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忠魂碑(ちゅうこんひ)

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【摂 社】


初音森ビル
二階部分に神殿及び儀式殿を備えたSRC造地上13階建ての賃貸オフィスビル。

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鳥居(とりい)
平成元年(1989)4月14日の建立。

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稲荷社(いなりしゃ)
一階にある小祠。

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 石段を登り、二階に。

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儀式殿(ぎしきでん)

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拝所(はいじょ)

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名馬 三日月像(めいば みかづきぞう)
敬宮愛子内親王殿下(としのみやあいこないしんのうでんか)御誕生を記念し奉納。平成十五年(2003)10月吉日。

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【御朱印】
(御府内八十八ヶ所霊場)

「初音森神社」
御朱印は、江島杉山神社と初音森神社の摂社にていただけます。
今回は、摂社にていただく。

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本所一ツ目弁財天 ~ 江島杉山神社(えじますぎやまじんじゃ) ~

 江ノ島弁天の岩屋を模した岩屋。
   入るのがちょっと怖い。

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別名、本所一ツ目弁財天(ほんじょひとつめべんざいてん)。元禄六年(1693)、盲目の鍼灸師・杉山検校(すぎやまけんぎょう)が五代将軍・綱吉(つなよし)から、ここ本所一ツ目に約12,000㎡の土地を拝領し、関八州における当道座の統括機関・惣録屋敷(そうろくやしき)を建て、その西隣に弁財天の一社(江島神社の御分社)を建立したのがはじまりです。「本所一ツ目弁天社」と呼ばれ名所になり、江戸庶民の信仰を集めました。明治四年(1871)11月、新政府は盲人官職を廃止します。これに伴い京都職屋敷や江戸惣録屋敷は没収されましたが、弁財天社は残され「江島神社」と改号します。明治二十三年(1890)、杉山和一霊牌所即明庵も再興し、境内に杉山和一大人命(すぎやまわいちうしのみこと)を祀る杉山神社を創建。震災戦災により二つの社殿は焼失するが、昭和二十七年(1952)、江島神社に杉山神社を合祀し江島杉山神社と改号しました。


社格等:村社
主祭神:市杵島比売命(いちきしまひめのみこと:弁財天)
神紋:波に三葉葵
ご利益:福徳円満・芸能上達・学業成就・鍼灸按学術上達など
花ごよみ:
住所:東京都墨田区千歳1-8-2
拝観:年中無休。9:00~17:00
拝観料:境内拝観自由
電話:03-3863-1308
URL:http://ejimasugiyama.tokyo/
アクセス:
・JR両国駅西口より徒歩7分
・都営大江戸線 両国駅A4出口より徒歩12分
・都営新宿線 森下駅A5出口より徒歩12分
兼務社:初音森神社(はつねもりじんじゃ)



一の鳥居(いちのとりい)
西参道。

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二の鳥居(にのとりい)

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狛犬(こまいぬ)

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手水舎(てみずしゃ)

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社殿(しゃでん)
昭和二十七年(1952)の再建の際に、江島神社(市杵島比売命)に境内社の杉山神社(杉山和一大人命(すぎやまわいちうしのみこと))を合祀。

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即明庵(そくみょうあん)
杉山和一霊牌所。

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杉多稲荷神社(すぎたいなりじんじゃ)
境内社として古くからお祀りされている稲荷神社。創祀年月日、「杉多」という名の由来ともに不明。

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狛犬(こまいぬ)

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銭洗弁財天(ぜにあらいべんざいてん)
平成二十六年(2014)12月、弁天池のほとりに銭洗弁天像が奉安され、銭洗と美玉洗があります。

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 銭洗(ぜにあらい)
浄水でお金を洗い、弁財天のご利益である福徳円満を祈ります。

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 美玉洗(びぎょくあらい)
授与所で授与される勾玉(まがたま)を水で浄め、美と長命を祈りお守りとして持ち帰るそうです。

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いわやみちの碑
寛政八年(1796)の製作。

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岩屋(いわや)
杉山和一が管鍼術(かんしんじゅつ)を授かった、本社江ノ島弁天の岩屋を模した岩屋。岩屋中には人頭蛇尾(じんとうだび)の姿をした宇賀神像(うがじんぞう)、宗像三女神像(むなかたさんじょしんぞう)、杉山和一検校像が祀られています。

 杉山和一検校像

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 宗像三女神像

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 宇賀神像

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太鼓橋(たいこばし)

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贈正五位杉山検校頌徳碑(ぞうしょうごいすぎやまけんぎょうしょうとくひ)
杉山検校の業績が認められ、大正十三年(1924)に正五位が追贈されたのを記念して作製されました。碑文は点字にて記されており非常に珍しいものです。

18a 贈正五位杉山検校頌徳碑.JPG


杉山和一記念館(すぎやまわいちきねんかん)
杉山検校ゆかりの資料を集めた記念館。平成二十八年(2016)年建立の二階建て。鍼灸マッサージの「杉山鍼按治療所」も併設しています。1階に授与所が入っています。

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鳥居(とりい)
南参道。

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神輿庫(しんよこ)

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焼け銀杏(やけいちょう)〔区保護樹木〕
空襲で焼けた銀杏の木。

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【御朱印】

「江島杉山神社」
今回はご縁がなかったようで、書置きの御朱印も売り切れ、御朱印を書ける神職もおられないとのこと。
サンプルの写真で。

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川上薬師 ~ 弥勒寺(みろくじ) ~

 近代日本鍼灸の発展に寄与した杉山検校(けんぎょう)の墓所。

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            (江島杉山神社の頌徳碑より)


江戸時代初期の慶長十五年(1610)宥鑁上人(ゆうばんしょうにん)が江戸の小石川鷹匠町(現・文京区小石川三丁目)に創建され、日本橋馬喰町(ばくろちょう)を経て、元禄二年(1689)に当地へ移転しました。もとは真言宗醍醐派総本山醍醐寺の塔頭・三宝院(さんぼういん)の末寺でしたが、その後に新義真言宗総本山・根来寺(ねごろじ)の末寺となっています。明治十八年(1885)には真言宗豊山派となりました。当初、弥勒菩薩を本尊としたことから寺号を弥勒寺と号したが、八代の清長のときに徳川光圀(みつくに)から薬師如来像を寄進されたことから現在の本尊となりました。江戸時代には新義真言宗の触頭(ふれがしら)・江戸四箇寺に列し、朱印地百石・独礼の格式を誇るとともに、「川上薬師」として江戸の庶民の信仰を集めました。この川上薬師という俗称には次のような由来があります。もともとこの薬師如来は、常陸国筑波郡内の真言宗寺院の本尊でしたが、光圀の宗教政策のため、寺が取りつぶされ、この像も川に流されてしまいます。すると、不思議なことに像は川下に流れることなく、川上へ一里半もさかのぼったという。その奇瑞(きずい)により、弥勒寺に祀られることになったと伝わっています。

宗派:真言宗豊山派
山号:萬徳山(まんとくざん)
寺号:弥勒寺(みろくじ)
院号:聖宝院(しょうぼういん)
寺格:
寺紋:
御本尊:薬師如来
ご利益:
札所等:御府内八十八ヶ所霊場46番
花ごよみ:
住所:東京都墨田区立川一丁目4-13
拝観:年中無休。
拝観料:境内自由。
電話:03-3632-3692
URL:http://www.bellstonekobo.com/mirokuji/
アクセス:
・地下鉄都営新宿線大江戸線 森下駅A5出口より徒歩2分
写寺:四国八十八箇所第46番 浄瑠璃寺(じょうるりじ)
御詠歌 『極楽の浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は報いならまし』



石柱門(せきちゅうもん)

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贈正五位杉山総検校墓所標(ぞうしょうごいすぎやまそうけんぎょうぼしょひ)
境内には、杉山検校(和一(わいち))の墓〔都指定旧跡〕があります。杉山検校は杉山流鍼術(しんじゅつ)の祖で、五代将軍・綱吉(つなよし)の治療にも当たったことから、総録(総取締)に任じられ、本所一ツ目に土地を拝領して鍼法講習所を開設、多くの弟子を育てました。これは世界最古の障害者教育施設であるという。大正十三年(1924)に正五位が追贈されました。ちなみに、検校は、中世・近世日本の盲官(盲人の役職)の最高位の名称です。

02a 贈正五位杉山総検校墓所標.JPG


本堂(ほんどう)
昭和五十年(1975)に改築。

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筆塚(ふでづか)
かつて弥勒寺で書道の道場を開いていた書家の相沢春洋(あいざわしゅんよう)を偲(しの)び建てられました。

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観音聖像(かんのんせいぞう)
聖像のもとには、東京大空襲の犠牲者約3,500名の遺骨を安置する慰霊の像。

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杉山検校の墓所(すぎやまけんぎょうのぼしょ)〔都指定旧跡〕
元禄七年(1694)、本所の私邸で亡くなり弥勒寺に葬られました。 ちなみに、江ノ島にある笠塔婆型の墓石は、翌年、一周忌に際して、門人の三浦安一が建てたものです。

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医療のはり供養塔(いりょうのはりくようとう)
昭和五十三年(1978)の造立。

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【御朱印】
(御府内八十八ヶ所霊場)

「薬師如来」

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吉良邸跡 ~ 本所松阪町公園(ほんじょまつざかちょうこうえん) ~

 『浅野殿、殿中でござる!』でおなじみの忠臣蔵の舞台。

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 赤穂浪士討ち入り場面。

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『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』

一般に『忠臣蔵』と呼ばれますが、元禄年間(1688~1704)の赤穂事件(あこうじけん)を基に創作された人形浄瑠璃・歌舞伎の演目・仮名手本忠臣蔵の通称です。寛延元年(1748年)8月、大坂竹本座にて初演されました。赤穂事件とは、第五代将軍・徳川綱吉(つなよし)の時代、元禄年間(1688~1704)江戸城松之大廊下(まつのおおろうか)で、高家(こうけ:儀式や典礼を司る役職)の吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が切腹に処せられました。さらにその後、亡き主君の長矩に代わり、家臣の大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)以下47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央、吉良家家老・小林央通(こばやしひさみち)、吉良家家臣・鳥居正次(とりいまさつぎ)、清水義久(しみずよしひさ、後の一角)らを討った事件です。


吉良上野介義央邸跡。高家肝煎(きもいり)*を引退後に義央の邸宅があった跡地。赤穂浪士(ろうし)によって義央、小林央通、鳥居正次、 清水義久ら二十余人が討たれた(元禄赤穂事件)現場です(本所松坂町は当地の旧名)。討ち入り当時の吉良邸は、約8400㎡という広大なものでしたが、現在、吉良邸跡として残るのは、御首級洗いの井戸(みしるしあらいのいど)を中心に、当時の86分の1(約98㎡)の規模となっています。
*肝煎は高家の管理者として、将軍の太刀の役や朝廷への年賀の名代(みょうだい)を主に勤め、勅使や院使等公家衆が参府した時には、接待のための馳走役(ちそうやく:接待する役)の大名に指示を与え、馳走役の大名も肝煎に礼典等に関して教えを受けて勤めるのを例とされていたので、馳走役の大名は肝煎に贈り物をするのが慣例となっていたようです。これは賄賂(わいろ)ではなく、指南料(しなんりょう)のようなもので、肝煎の役得といえるものでした。


住所:東京都墨田区両国三丁目13番9号
開園時間:年中無休
入園料:入園自由
電話:(墨田区道路公園課)03-5608-6597
URL:http://visit-sumida.jp/spot/6175
アクセス:
・JR総武線両国駅東口下車徒歩7分



屋敷門(やしきもん)
高家の格式を表す海鼠塀(なまこへい)と黒塗りの屋敷門を復元しています。ただし脇門であり、正門(表門)は現在オフィスビルとマンションになっていて、史跡を伝える立札があるのみ。

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石碑(せきひ)
吉良邸跡は都指定の旧跡です。

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 『赤穂義士遺蹟 吉良邸跡』

吉良上野介義央座像(きらこうずけのすけよしひさぞう)
芝居(忠臣蔵)と史実(元禄赤穂事件)との違いが明らかになるにつれ、悪役とされた義央の評価が変わりつつあることもあり、両国三丁目町会と吉良邸跡保存会らによって作成された像。吉良家の菩提寺・華蔵寺(けぞうじ:愛知県吉良町)にある義央五十歳の時の座像をモデルに作成。良央の位は従四位上(じゅしいのじょう)なので束帯(そくたい)は黒、後襟袍の下に緑、藍(あい)、紅、白の襟があらわされています。表襟は白色で、左手に太刀、右手に朱塗り平板の笏(しゃく)を持つ。

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御首級洗いの井戸(みしるしあらいのいど)
その名のとおり、義央の首を洗った井戸と伝わっています。

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吉良家二十士追悼碑(きらけにじゅうしついとうひ)
犠牲者二十数名の名を刻んだ石碑。

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吉良上野介追慕碑(きらこうずけのすけついぼひ)

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松坂稲荷神社(まつざかいなりじんじゃ)
松坂稲荷には、兼春(かねはる)稲荷(倉稲魂命(うかのみたまのみこと))と上野稲荷(伏見稲荷)の二社が合祀されています。兼春稲荷は、初めて徳川氏入国後、現・松坂町方面に御竹蔵(おたけぐら:竹材保管施設)を置かれた当時は、その水門内に鎮座、元禄十五年(1702)の赤穂浪士討入り後、吉良邸跡へ地所清めのため遷宮されました。昭和十年(1935)上野稲荷が合祀されました。

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08a 松坂稲荷神社.JPG


昭和元禄 八重桜(しょうわげんろく やえざくら)
園内に1本だけ桜が植えられています。4月中旬頃開花のようです。

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本所一ッ目の寅薬師 ~ 大徳院(だいとくいん) ~

 お寺というより、まるでオフィスビルみたい。

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平安時代初期の弘仁七年(816)弘法大師・空海が高野山を開く勅許を得て、軍茶利明王(ぐんだりみょうおう)の修法し高野山の結界をした時の草庵が蓮花院の始まりといわれています。1300年代、松平氏(徳川家康の祖先)始祖・松平親氏(ちかうじ)が蓮花院の檀家となります。天文四年(1535)、家康の祖父・松平清康(きよやす)の遺骨を納骨し、光徳院と号します。文禄三年(1594)、秀吉に従って家康が高野山参詣の折に、光徳院に宿泊。家康から大徳院の院号が与えられ再び改号します。院号は高野山を開いた弘法大師の「大」と徳川家の「徳」をとって大徳院と号しました。なお、高野山の大徳院は明治初期に寺号を蓮花院に戻しています。江戸の大徳院は、大徳院宥雅法印が、家康より高野山金剛峰寺の諸国末寺の総触頭(ふれがしら)として寛永年間(1624~45)に神田紺屋町(かんだこんやちょう)に屋敷を拝領した後、本所猿江(ほんじょさるえ)に移転、貞享元年(1684)2月、現在地、両国に移転しました。明治十八年(1885)に高野山別院としての機能を、天門山長寿寺(現・高野山東京別院)に返上、一地方寺院となりました。本尊は薬師如来で、俗に「本所一ッ目の寅薬師」といわれ、眼病治癒に霊験あらたかな仏さまとして信仰されています。


宗派:高野山真言宗
山号:高野山(こうやさん)
寺号:金剛峯寺(こんごうぶじ)
院号:大徳院(だいとくいん)
寺格:旧金剛峯寺末寺
寺紋:
御本尊:薬師瑠璃光如来
札所本尊:弘法大師
ご利益:
札所等:御府内八十八ヶ所霊場50番
住所:東京都墨田区両国二丁目7-13
拝観:年中無休。
拝観料:境内自由。
電話:03-3633-2526
URL:http://www.ryobo.com/ryogoku/
アクセス:
・JR総武線 両国駅下車、徒歩5分
・都営地下鉄大江戸線 両国駅下車、徒歩8分
・都営地下鉄新宿線 森下駅下車、徒歩9分
写寺:四国八十八箇所第50番 繁多寺(はんたじ)
御詠歌 『よろずこそ繁多なりとも怠らず 諸病なかれと望み祈れよ』
(大徳院の御詠歌)
『のちの卋(よ)を照らす惠みや大徳の仰(あ)ふぐに余(あま)る法(のり)の燈火(ともしび)』
御朱印:住職不在時は、書置きの御朱印があります。ただ、書置きの場合は、未使用の御府内八十八ヶ所霊場専用の用紙と交換でないと授与できないとのことです。

 私は専用用紙を持っていなかったので、あっさり断られ。
 本尊・薬師如来さまの拝観もいい出しずらくなり、スゴスゴと退散。
 残念。



石仏等

地蔵尊、八人之供養塔、庚申塔?
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地蔵尊
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延命地蔵尊、とげぬき地蔵尊
01c 石仏等(延命地蔵尊・とげぬき地蔵尊).JPG


本堂(ほんどう)
平成二十五年(2013)自動搬送式納骨堂(両国陵苑)を備えたビルとして建立。建物内には、本堂・副本堂・礼拝堂・斎場・客殿などあります。

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02c 本堂.JPG


札所碑(ふだしょひ)
御府内八十八ヶ所霊場50番の札所です。

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札所参拝所(ふだしょさんぱいじょ)

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 本尊は弘法大師さま。

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 二種類のマニ車が置かれています。

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 これは奉納されたものか。三蔵法師一行。

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越後国一宮 ~ 天津神社(あまつじんじゃ) ~

 糸魚川の駅前では、伝説のお姫さま・奴奈川姫(ぬなかわひめ)がお出迎え。

01e 奴奈川姫銅像(糸魚川駅前).JPG



創建年代等は不詳。第十二代・景行天皇(けいこうてんのう)の時代(古墳時代)に勧請されたのに始まり、第三十六代・孝徳天皇(こうとくてんのう)の勅願所であったと伝えられています。旧糸魚川町のうち、一の宮・押上・寺町・大町・七間町等の産土神(うぶすながみ)として崇敬されました。境内に式内社論社の奴奈川神社(ぬなかわじんじゃ)が併存しています。古くから神仏習合し別当寺院として高峰山教王院神宮寺(真言宗)が祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃されました。天津神社の前身が、平安時代の『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』に記載される式内社「越後国頸城郡 大神社(えちごのくにくびきぐん おほむはじんじゃ)」の候補のひとつであり、弥彦神社(いやひこじんじゃ、弥彦村)と居多神社(こたじんじゃ、上越市)と同じく従四位下(じゅしいげ)を賜(たまわ)っている可能性があり、この三社がともに越後国一宮を称しています。毎年4月10日と11日に「天津神社春大祭(通称:糸魚川けんか祭り)」〔重要文化財〕が行なわれます。10日には新衣装、11日は旧衣装で舞が舞われます。


社格等:式内社(小)論社・(称)越後国一宮・県社。
主祭神:
・天津彦々火瓊々杵尊 (あまつひこひこほににぎのみこと)
・天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
・太玉命 (ふとだまのみこと)
神紋:
ご利益:病気平癒、地域安全、地域振興など
花ごよみ:
住所:新潟県糸魚川市一の宮1-3-34
拝観:年中無休。9:00~17:00
拝観料:境内拝観自由
電話:025-552-0036
URL:なし
アクセス:JR糸魚川駅下車、徒歩10分



社号標(しゃごうひょう)
昭和十八年(1943)の建立。

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石橋(いしばし)

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石鳥居(いしとりい)

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弁天池(べんてんいけ)
中央の島に弁天社を祀る。

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手水舎(てみずしゃ)

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歌碑(かひ)

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 『掬(むす)めば 手に光ぞ みつるあかつきの そらをうつせる 御手洗(みたらし)の水』

歌碑(かひ)

10 歌碑.JPG




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旧社務所(きゅうしゃむしょ)
人は居らず物置となっているもよう。

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狛犬(こまいぬ)

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衣紋所(えもんじょ)
4月10日の祭礼で階上は舞人の稚児の控室、化粧所。

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舞台と楽屋(ぶたいとがくや)

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拝殿(はいでん)
桁行七間 梁間五間・入母屋造・茅葺で寛文二年(1662)の建立。

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 拝殿の後方に、奴奈川神社と天津神社の本殿が並ぶ。

18 本殿(奴奈川神社と天津神社).JPG



奴奈川神社本殿(ぬなかわじんじゃほんでん)
主祭神の奴奈川姫命(ぬなかわひめのみこと)のほか、配祀神として八千矛命(やちほこのみこと:大国主命(おおくにぬしのみこと))が祀られています。木造奴奈川姫神像(平安時代後期の作)〔県指定文化財〕も安置しています。この一帯はかつて「沼川郷」と言い、そこに住んでいた奴奈川姫命の元を八千矛命が訪れたという話が日本神話(大国主の神話)にあります。伝承では、両神の間の子が建御名方命(たけみなかたのみこと)であり、姫川を遡(さかのぼ)って信濃国(しなののくに、信州)に入りそこを開拓したという。社殿は一間社・流造・銅板葺で寛政十年(1798)の建立。創建年代等は不詳ですが、もとは、糸魚川市蓮台寺の奥・柳谷に祀られ、元暦二年(1185)に山崎の地に移り、その後現在地に移ったと伝えられています。

19a 奴奈川神社本殿.JPG


 狛犬さん。

狛犬(奴奈川神社本殿).jpg


天津神社本殿(あまつじんじゃほんでん)
主祭神の天津彦々火瓊々杵尊 (あまつひこひこほににぎのみこと)と配祀神として天児屋根命 (あめのこやねのみこと)・太玉命 (ふとだまのみこと)を祀る。また、住吉三神(すみよしさんじん:底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと))も合祀されています。瓊々杵尊は天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天児屋根命は天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞(のりと)を奏した神で、瓊瓊杵尊の降臨に従った神さま。太玉命は天児屋命とともに天照大神の出現を祈請した神さまで、瓊瓊杵尊の降臨にも従いました。桁行三間 梁間二間・切妻造・銅板葺で寛政九年(1797)の建立。

20 天津神社本殿.JPG


 狛犬さん。

狛犬(天津神社本殿).jpg


宝蔵(ほうぞう)

21 宝蔵.JPG


末社 子聖社(ねのひじりしゃ)
創建年代等不詳。足腰など下半身の病に霊験があるといわれています。

21 末社 子聖社.JPG


21a 末社 子聖社.JPG


石祠・石像(せきし・せきぞう)

22.JPG


社務所(しゃむしょ)

22a 社務所.JPG


忠魂碑(ちゅうこんひ)
伯爵元帥・東郷平八郎の筆。大正十四年(1925)3月の造立。

25 忠魂碑.JPG


神輿堂(みこしどう)

26 神輿堂.JPG




【御朱印】

「天津神社 奴奈川神社」

31 御朱印(天津神社 奴奈川神社).JPG






古代遺跡のような美術館 ~ 翡翠園、玉翠園・谷村美術館(ひすいえん、ぎょくすいえん・たにむらびじゅつかん) ~

 シルクロードの遺跡をイメージした美術館だそうです。

05 谷村美術館.JPG



住所:
・谷村美術館 新潟県糸魚川市京ケ峰2-1-13
・翡翠園 新潟県糸魚川市大字蓮台寺2-11-1
・玉翠園 新潟県糸魚川市大字京ヶ峰2-1-13
開園時間:9:00~16:00
休園期間:12月28日〜1月4日
入園料:玉翠園・谷村美術館(2ヵ所共通券)
一般 500円、高校生以下 300円
玉翠園・谷村美術館・翡翠園 3ヵ所共通券
大人 800円、高校生以下 500円
電話:025-552-9277
URL:http://gyokusuien.jp/
アクセス:
・北陸線糸魚川駅下車、徒歩30分
・北陸線糸魚川駅下車、車で7分
※谷村美術館から翡翠園まで徒歩15分



谷村美術館・玉翠園(たにむらびじゅつかん・ぎょくすいえん)

谷村美術館は、彫刻家の故・澤田政廣(さわだせいこう)の木彫りの金剛王菩薩(こんごうおうぼさつ)・光明佛身(こうみょうぶっしん)・彌勒菩薩(みろくぼさつ)などの仏像10体を中心に展示するために作られた個人美術館。建築設計は故・村野藤吾(むらのとうご)。ちなみに、糸魚川市にある建設会社谷村建設の社長・谷村繁雄(たにむらしげお)が依頼してつくられたので谷村美術館と称しています。玉翠園は、谷村美術館に隣接するヒスイ原石を配置した日本庭園で、造園家・中根金作(なかねきんさく)の作。


谷村美術館・玉翠園出入口

01 谷村美術館・玉翠園.JPG


大観音像(だいかんのんぞう)
出入口に立つ、全長8m約90tの巨大な自然石。

03a 大観音像.JPG


廻廊(かいろう)

 この廻廊を渡って、美術館に入ります。

04 廻廊 .JPG


谷村美術館

05a 谷村美術館.JPG


 館内では順路に従い、10体の仏像を見学します。
 館内撮影禁止のため、玉翠園の休憩所の写真を。

07b 谷村美術館(金剛王菩薩).JPG

        (金剛王菩薩(こんごうおうぼさつ))

 美術館の出口あたりではこんなものも。
 仏さまの横顔に見えますか。

06 谷村美術館(石像).JPG




玉翠園

08 玉翠園.JPG


 今日みたいな猛暑日は、休憩所からお庭を鑑賞できるなんて助かります。

08k 玉翠園(休憩所).JPG




翡翠園(ひすいえん)

翡翠園は、造園の権威大阪芸術大学学長、故・中根金作(なかねきんさく)の設計監督によるものです。庭園部分の敷地面積が17,000㎡の本格的日本庭園です。松林を背景に、三つの滝・池・曲水をもって構成され、曲水の中にもひすい原石を配置、巨石と数多くの石を使用した日本でもめずらしい庭園です。

 お城のような石垣を通り石段を登って庭園内に入ります。

10 翡翠園(全景).JPG


11 翡翠園(入口).JPG


12 翡翠園(入退場門).JPG


 玄関を入って、まず見えるのが、
 巨大な翡翠の原石・コバルトヒスイ。
 パワースポットだそうで、ナデナデするといいそうですよ。

13a 翡翠園(コバルトヒスイ).JPG


13 翡翠園(コバルトヒスイ).JPG


13g 翡翠園.JPG


13i 翡翠園.JPG


 高台から見る庭園の全景。

13p 翡翠園.JPG


 高台にはこんなものも。

13l 翡翠園.JPG


13v 翡翠園.JPG


休憩所(きゅうけいじょ)

14 翡翠園(休憩所).JPG


ひすい美術館
現地姫川産や海外産のヒスイ、ヒスイではないが、黄トラメ石、青トラメ石などの加工像が展示されています。

 姫川産ヒスイ恵比寿・大黒像

16 ひすい美術館(姫川産ヒスイ恵比寿・大黒像).JPG


 中国産ヒスイ鯉と龍

16b ひすい美術館(中国産ヒスイ鯉と龍).JPG


 黄トラメ石 岩上毘沙門天立像

16f ひすい美術館(黄トラメ石 岩上毘沙門天立像).JPG


 青トラメ石釈迦三尊像

16g ひすい美術館(青トラメ石釈迦三尊像).JPG





御府内八十八ヶ所霊場61番 ~ 正福院(しょうふくいん) ~

 境内のところどころには美しい花が。
   癒されます。

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江戸時代初期の慶長十六年(1611)、浜町 橘町(現・中央区日本橋浜町)あたりで開創されたと伝えられています。正保元年(1645)、第三代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の時代に、江戸の大塚にあった護持院の末寺として当地を拝領します。正福院の開山第一世は源秀(げんしゅう)。望月貞久(もちづきさだひさ)という方の絶大なる尽力によって開創できたとされ、その功績を称え、山号を「望月山(ぼうげつざん)」と付けられたという。享保三年(1718)、貞久の子孫が洛東稲荷山(伏見稲荷)から『一顆(いっか)の玉と弘法大師御作の十一面観世音菩薩を与えるので、この地に一社を建立せよ』との夢告を受けます。それで日本橋浜町に伏見稲荷の祠(ほこら)を祀ったが、後に正福院境内にうつされ、柳の木の下に祀られたので「柳稲荷」と呼ばれるようになったという。


宗派:真言宗智山派
山号:望月山(ぼうげつざん)
寺号:般若寺(はんにゃじ)
院号:正福院(しょうふくいん)
寺格:
寺紋:
御本尊:大日如来(金剛界)
ご利益:
札所等:御府内八十八ヶ所霊場61番
花ごよみ:
住所:東京都台東区元浅草四丁目7-11
拝観:年中無休。
拝観料:境内自由。
電話:03-3841-9583
URL:http://syofukuin.tokyo/
アクセス:
・東京メトロ銀座線 稲荷町駅下車、徒歩5分
・東京メトロ銀座線 田原町駅下車、徒歩8分
写寺:四国八十八箇所第61番 香園寺(こうおんじ)
御詠歌 『のちの世を思えば詣れ香園寺 とめてとまらぬ白滝の水』



石柱門(せきちゅうもん)

01a 石柱門.JPG


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札所碑(ふだしょひ)
御府内八十八ヶ所霊場61番の札所です。

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本堂(ほんどう)
本尊の金剛界大日如来像を安置する。

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 障子の向こうにご本尊さまがおられます。

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石仏(せきぶつ)

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石碑(せきひ)

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09a.JPG




石灯籠(いしどうろう)

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白衣観世音菩薩像(びゃくえかんぜおんぼさつぞう)
白は清浄菩提心を表し、胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)観音院の一尊。中世以降は三十三観音のひとつとされました。白衣を着け、左手に蓮華を持ち蓮華の座におられます。息災延命や安産、育児などの功徳があるといわれます。

11 白衣観世音菩薩像.JPG


地蔵尊(じぞうぼさつ)

12 地蔵尊.JPG


転法輪碑(てんぼうりんひ)
転法輪とは、仏が教えを説くことをいう。お釈迦さまが説法して人々の迷いを砕くことを、戦車が進んでいって敵を破ることにたとえたもの。お釈迦さまが悟ったのち初めて5人の比丘(びく:男性の僧侶)に鹿野苑(ろくやおん)で説法したことを、特に初転法輪と呼ばれています。

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【御朱印】
(御府内八十八ヶ所霊場)

「本尊 大日如来」

14 御朱印(本尊 大日如来).JPG





御府内八十八ヶ所霊場51番 ~ 延命院(えんめいいん) ~

 賽銭箱に見たことがない紋章が。
   調べてみると、揚羽蝶(あげはちょう)という紋章のようです。

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創建年代等は不詳。室町時代中期の文安元年(1444)、のちの日本橋矢ノ倉に開創されたと伝えられています。当初は延寿院と称し、東寺の末寺でしたが、第二代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)の命により延命院と改称、醍醐寺の末寺となりました。明暦の大火の後、現在地に移転。明治二年(1869)智積院の末寺となりました。江戸時代の札所は鳥越明神の別当・鳥越山長楽寺でしたが、明治の神仏分離で廃寺となったため、延命院に移されました。


宗派:真言宗智山派
山号:玉龍山(ぎょくりゅうざん)
寺号:弘憲寺(こうけんじ)
院号:延命院(えんめいいん)
寺格:
寺紋:
御本尊:大日如来
ご利益:
札所等:
・御府内八十八ヶ所霊場51番
・荒川辺八十八ヶ所霊場82番
住所:東京都台東区元浅草四丁目5-2
拝観:年中無休。
拝観料:境内自由。
電話:03-3841-7122
URL:なし
アクセス:
・東京メトロ銀座線 稲荷町駅下車、徒歩8分
・東京メトロ銀座線 田原町駅下車、徒歩8分
・都営地下鉄大江戸線 新御徒町駅下車、徒歩10分
写寺:四国八十八箇所第51番 石手寺(いしてじ)
御詠歌 『西方をよそとは見まず安養の 寺にまいりて受くる十楽』



石柱門(せきちゅうもん)

01 石柱門.JPG


札所碑(ふだしょひ)
御府内八十八ヶ所霊場51番の札所です。

02 札所碑.JPG


弘法大師像(こうぼうだいしぞう)

03a 弘法大師像.JPG


弘法大師御遠忌一千百年供養碑(こうぼうだいしごおんきせんひゃくねんくようひ)

04 弘法大師御遠忌一千百年供養碑.JPG


本堂(ほんどう)
本尊・大日如来像のほか、弁財天像も安置する。弁財天像は、弘法大師の作と伝えられる。天長五年(828)、弘法大師は琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)に参籠し、二体の弁財天を刻んだ。その一体を竹生島に納め、もう一体が延命院に祀られているという。

05 本堂.JPG


05c 本堂.JPG


地蔵菩薩像(じぞうぼさつぞう)

06 地蔵菩薩像.JPG




【御朱印】
(御府内八十八ヶ所霊場)

「大日如来」

09 御朱印(大日如来).JPG





御府内八十八ヶ所霊場82番 ~ 龍福院(りゅうふくいん) ~

 観蔵院で、龍福院の門が閉まっていたら、脇の小さな扉から入れると教えていただいたので、小扉から恐る恐る境内へ。境内に誰も居られずキョロキョロしていたら、左手の民家から、『誰~っ』と女性が。『ご、御朱印を』というと、お寺の方だったようで、御朱印を書いていただけました。ホッ。

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創建年代等は不詳。江戸時代初期の正保元年(1644)谷町(現・中央区日本橋)から現在地に移転したという。境内には「最後の浮世絵師」と呼ばれた小林清親(こばやしきよちか)の墓があります。


宗派:真言宗智山派
山号:青林山(せいりんざん)
寺号:最勝寺(さいしょうじ)
院号:龍福院(りゅうふくいん)
寺格:
寺紋:
御本尊:金剛界大日如来
ご利益:
札所等:
・御府内八十八ヶ所霊場82番
住所:東京都台東区元浅草三丁目17-2
拝観:年中無休。
拝観料:境内自由。
電話:03-3841-1241
URL:なし
アクセス:
・東京メトロ銀座線 稲荷町駅下車、徒歩9分
・東京メトロ銀座線 田原町駅下車、徒歩9分
・都営地下鉄大江戸線 新御徒町駅下車、徒歩5分
写寺:四国八十八箇所第82番 根香寺(ねごろじ)
御詠歌 『宵の間のたへふる霜の消えぬれば あとこそ鉦の勤行のこえ』



本堂(ほんどう)
本尊の金剛界大日如来像を安置する。

02 本堂.JPG


02a 本堂.JPG


清親画伯之碑(きよちかがはくのひ)
明治~大正時代の版画家。洋画をワーグマン、日本画を河鍋暁斎(かわなべきょうさい)、柴田是真(しばたぜしん)に学ぶ。木版画に洋画的手法をとりいれ,光と影の効果を巧みに表した風景版画を残したが,のち時事的な漫画や歴史画に転じた。代表作に『東京名所図』の連作、『海辺橋(第一銀行雪中)』などがあります。

04 清親画伯之碑と線刻碑.JPG


線刻碑(せんこくひ)
地蔵尊が線刻されています。

06 線刻碑.JPG




【御朱印】
(御府内八十八ヶ所霊場)

「本尊 大日如来」

07 御朱印(本尊 大日如来).JPG





御府内八十八ヶ所霊場45番 ~ 観蔵院(かんぞういん) ~

 美しいご本尊さま。
   5年ほど前に修復されたため新しく見えるが、江戸時代の作だそうです。

04f 本堂(ご本尊).JPG



江戸時代初期の慶長十六年(1611)証円上人によって開創されたという。当初は神田橋のあたり、あるいは中野屋敷と呼ばれるところにあったという。正保元年(1644)現在地に移ってきました。なお、江戸時代の45番札所は蔵前の石清水八幡宮(現・蔵前神社)の別当・大護院でした。石清水八幡宮は、五代将軍綱吉が将軍家の祈願所として京都の石清水八幡宮を勧請したもので、大護院は御朱印領二百石、独礼の格式を誇っていたが、明治の神仏分離で廃寺となりました。


宗派:真言宗智山派
山号:広幡山(こうばんざん)
寺号:隆源寺(りゅうげんじ)
院号:観蔵院(かんぞういん)
寺格:
寺紋:
御本尊:如意輪観世音菩薩
ご利益:
札所等:
・御府内八十八ヶ所霊場45番
・荒川辺八十八ヶ所霊場83番
住所:東京都台東区元浅草三丁目18-5
拝観:年中無休。
拝観料:境内自由。
電話:03-3843-7244
URL:なし
アクセス:
・東京メトロ銀座線 稲荷町駅下車、徒歩8分
・東京メトロ銀座線 田原町駅下車、徒歩9分
・都営地下鉄大江戸線 新御徒町駅下車、徒歩6分
写寺:四国八十八箇所第45番 岩屋寺(いわやじ)
御詠歌 『大聖の祈る力のげに岩屋 石の中にも極楽ぞある』



山門(さんもん)

01 山門.JPG


01a 山門.JPG


修行大師像(しゅぎょうだいしぞう)

02a 修行大師像.JPG


聖観世音菩薩像(しょうかんぜおんぼさつぞう)

03a 聖観世音菩薩像.JPG


本堂(ほんどう)
二階に内陣があり、こちらに本尊の如意輪観世音菩薩像が安置されています。

 本堂正面の扉は盗難防止のため、通常閉めているそうです。
 寺務所でお願いして、脇の入口から入れていただきました。

04 本堂.JPG


04b 本堂.JPG


04d 本堂.JPG


狛犬(こまいぬ)

 色がシーサーみたい。

狛犬.jpg


宝篋印塔(ほうきょういんとう)

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【御朱印】
(御府内八十八ヶ所霊場)

「如意輪観音」

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葛飾北斎の墓所 ~ 誓教寺(せいきょうじ) ~

 海外で最も有名な日本人・葛飾北斎(かつしかほくさい)のねむる場所。

07 冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏.JPG

         (冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏)
          ※すみだ北斎美術館で撮影

『葛飾北斎』

江戸後期の浮世絵師。今の墨田区亀沢付近で生まれ、生涯のほとんどを区内で過ごし、93回も引っ越しました。各地から望む富士を描いた「富嶽三十六景」が有名。ゴッホやモネら海外の画家にも影響を与えたとされています。衣食などを気にかけることなく、散らかった部屋で作画ざんまいの暮らしだったといわれています。嘉永二年(1849)4月18日、江戸・浅草聖天町の長屋で三女の阿栄(おえい:葛飾應為(おうい))に看取られて亡くなりました。享年90。

12 北斎のアトリエ.JPG

          ※すみだ北斎美術館で撮影


創建年代は不詳ですが、寛永年間(1624~43)頃の創建ともいわれています。開山は善蓮社貞誉上人浄求閑悦和尚と伝わっています。日本橋矢ノ倉(現・中央区東日本橋)に創建されましたが、江戸幕府の政策により現在の場所に移転。昭和はじめの区画整理による世田谷区千歳烏山への移転を拒否。境内の縮小を余儀なくされて現在に至っています。


宗派:浄土宗
山号:瑞亀山(ずいきざん)
院号:弘願院(ぐがんいん)
寺格:
寺紋:
御本尊:阿弥陀如来
ご利益:
住所:東京都台東区元浅草四丁目6-9
拝観:年中無休。10:00~16:00
拝観料:境内自由。
電話:03-3841-5631
URL:なし
アクセス:
・東京メトロ銀座線 稲荷町駅下車、徒歩5分
・都営地下鉄大江戸線 新御徒町駅下車、徒歩10分



石柱門(せきちゅうもん)

01 石柱門.JPG


石碑(せきひ)

 判読不能。

03 石碑.JPG


石灯籠(いしどうろう)

04 石灯籠.JPG


 火袋(ひぶくろ)のところになぜか狛犬。

04a 石灯籠.JPG


生誕二百年記念碑(せいたんにひゃくねんきねんひ)
葛飾北斎生誕二百年を記念して昭和三十五年(1960)に造立。北斎が肉筆画で使っていた落款(らっかん)を元にデザインされたもの。富士山がかたどられたなかに「北斎」と書かれています。

05 生誕二百年記念碑.JPG


葛飾北斎像(かつしかほくさいぞう)
葛飾北斎生誕二百三十年を記念して平成二年(1990)に造立。

06a 葛飾北斎胸像.JPG


本堂(ほんどう)
本尊・阿弥陀如来像を安置する。

08 本堂.JPG


葛飾北斎墓(かつしかほくさいのはか)〔都指定旧跡〕
北斎の墓は、幕末まで北斎の父と合葬されていましたが、現在の墓は、加瀬氏の養子となっていた次男の崎十郎(さきじゅうろう)が建てたとも、その娘の白井多知女が建てたともいわれています。墓石正面に「画狂老人卍墓」(「卍」は北斎の雅号のひとつ)と大書し、右側面に辞世の句が刻まれています。毎年4月には「北斎忌」が開かれ、法要が営まれます。 

10 葛飾北斎墓.JPG


 辞世の句
 『ひと魂(だま)で ゆく気散(さん)じや 夏の原』
 (人魂になって夏の野原にでも気晴らしに出かけようか)




御府内八十八ヶ所霊場78番 ~ 吉祥院(きっしょういん) ~

 都内にしては珍しく竹林(ちくりん)があります。
   お寺の人の話では、ちゃんとタケノコも取れて、美味しいそうですよ。

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創建年代は不詳。江戸時代初期の慶長十六年(1611)に中野寺町に寺地を拝領、寛永二十一年(1644)当地へ移転、開山は宥教法印(ゆうきょうほういん)と伝わっています。


宗派:真言宗智山派
山号:摩尼山(まにざん)
寺号:隆全寺(りゅうぜんじ)
院号:吉祥院(きっしょういん)
寺格:
寺紋:
御本尊:阿弥陀如来
ご利益:
札所等:御府内八十八ヶ所霊場60番
花ごよみ:
住所:東京都台東区元浅草二丁目1-14
拝観:年中無休。
拝観料:境内自由。
電話:03-3841-7223
URL:なし
アクセス:
・東京メトロ銀座線 稲荷町駅下車、徒歩5分
・都営地下鉄大江戸線 新御徒町駅下車、徒歩10分
写寺:四国八十八箇所第60番 横峰寺(よこみねじ)
御詠歌 『たて横に峰や山辺に寺たてて あまねく人を救うものかな』



石柱門(せきちゅうもん)

01c 石柱門.JPG


札所碑(ふだしょひ)
御府内八十八ヶ所霊場60番の札所です。

02 札所碑.JPG


手水鉢(ちょうずばち)
『盥水(かんすい)』と刻む。盥(たらい)は、「手洗(てあらい)」の変化した語だそうですので、手洗水ということでしょうか。

 お水がありませんが・・・。

04 手水鉢.JPG


本堂(ほんどう)
本尊・阿弥陀如来像を安置する。

05 本堂.JPG


05b 本堂.JPG


寺務所(じむしょ)

06 寺務所.JPG




07 庭.JPG




贈大教正普寛霊尊供養塔(ぞうだいきょうせいふかんれいそんくようとう)
普寛は、江戸中期の修験者で、御嶽講(みたけこう)・御嶽教(おんたけきょう)の開祖。江戸時代は富士信仰と木曾御嶽信仰が盛んでした。寛政四年(1792)木曾の御嶽山(おんたけさん)にのぼり王滝口登山道をひらき、関東地方に御嶽講を組織して御嶽信仰をひろめました。塔は、御嶽講の人たちが普寛行者のために建てたもの。文字は山岡鐵太郎(やまおかてつたろう:鉄舟(てっしゅう))の筆。

08 贈大教正普寛霊尊供養塔.JPG


宝篋印塔(ほうきょういんとう)

09 宝篋印塔.JPG


石灯籠(いしどうろう)

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【御朱印】
(御府内八十八ヶ所霊場)

「本尊 阿弥陀如来」

12 御朱印(「本尊 阿弥陀如来」).JPG





田中成就院 ~ 成就院(じょうじゅいん) ~

 本堂正面の玉持龍。中々の迫力です。

08j 本堂.JPG



当時は田んぼの中にあったので、田中成就院と通称されました。また、当時は堀が近くにあったようで、藁の集積地であったとか。「わらだなの成就院」ともいわれていたようです。徳川家康(とくがわいえやす)に従って江戸に入った鏡伝法印によって慶長十六年(1611)神田北寺町に創建され、慶安元年(1648)江戸の町の膨張に伴う都市計画のため、現在地に移転してきたという。

宗派:真言宗智山派
山号:摩尼山(まにざん)
寺号:宝光寺(ほうこうじ)
院号:成就院(じょうじゅいん)
寺格:
寺紋:
御本尊:大日如来
札所本尊:弘法大師像
ご利益:
札所等:御府内八十八ヶ所霊場78番
花ごよみ:
住所:東京都台東区東上野三丁目32-15
拝観:年中無休。
拝観料:境内自由。
電話:03-3831-2534
URL:http://jyojyuin.o.oo7.jp/
アクセス:
・東京メトロ銀座線 稲荷町駅下車、徒歩1分
写寺:四国八十八箇所第78番 郷照寺(ごうしょうじ)
御詠歌 『おどりはね念仏唱う道場寺 拍子をそろえ鉦をうつなり』



石柱門(せきちゅうもん)

01 石柱門.JPG


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札所碑(ふだしょひ)
御府内八十八ヶ所霊場78番の札所です。

02 札所碑.JPG


本堂(ほんどう)
本尊の大日如来、薬師如来、阿弥陀如来の大日三尊像を安置。そのほか、吉祥天、多聞天、不動明王も安置しています。大日如来は、江戸時代から伝えられた仏さまですが、他は昭和になってから謹刻された仏さまです。本堂の正面の玉持龍・阿吽の獅子の彫刻は、彫刻家・金子光清(かねこみつきよ)の作。

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08g 本堂.JPG


手水舎(てみずしゃ)
昭和五十八年(1983)、弘法大師千百五十年御恩忌を記念して建立。

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地蔵尊(じぞうそん)

12 地蔵尊.JPG


石仏塔(せきぶつとう)
石仏の盗難防止で、コンクリートで固めたとか。

14 石仏塔.JPG


供養塔(くようとう)

15 供養塔.JPG


弘法大師堂(こうぼうだいしどう)

16 弘法大師堂.JPG


修行大師像(しゅぎょうだいしぞう)

17a 修行大師像.JPG


称観堂(しょうかんどう)
永代供養墓。やすらぎ聖観音像を祀る「与楽(よらく)」と遺骨を納める「抜苦(ばっく)」の二つのお堂で構成。足元が気仙(けせん)三十三観音霊場お砂踏み場となっていて、『南無観世音菩薩』と唱えながら、八の字にお参りすると功徳を積むことができるそうです。

18a 称観堂.JPG


18d 称観堂.JPG


※気仙三十三ヶ所観音霊場
江戸時代中期の享保三年(1718)、岩手県・気仙地域(陸前高田市、大船渡市、住田町)で、高田村の検断役(けんだんやく)・佐々木三郎左エ門知則が父母の安楽追善供養のため、札所を選定して開創した霊場。東日本大震災の被害を受けたことから、現在霊場を再興中です。

庭(にわ)

19 庭.JPG


銅像(どうぞう)

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宝篋印塔(ほうきょういんとう)
一部破損。

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【御朱印】
(御府内八十八ヶ所霊場)

「本尊 大日如来」

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四谷怪談 お岩様ゆかりの寺 ~ 陽運寺(よううんじ) ~

 四谷怪談で有名な「お岩さん」を祀るお寺。
   創作された歌舞伎の主人公を祀るユニークなお寺さんです。

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江戸時代末の文政八年(1825)7月、歌舞伎狂言の作者・四代目鶴屋南北(つるやなんぼく)が創作した「東海道四谷怪談」が世に広まり、お岩さんが庶民の畏敬(いけい)を集めました。この地にあったお岩の霊堂が戦災にあったため、茨城の戸久昌寺(きゅうしょうじ)の蓮牙院日建上人が、栃木県沼和田から薬師堂を移築再建し開山されました。境内にある秦山木(たいさんぼく)の下にお岩縁の祠(ほこら)があったと伝えられ陽運寺の起源とされています。


宗派:日蓮宗
山号:長照山(ちょうしょうざん)
寺格:
寺紋:
御本尊:日蓮大聖人御尊像
ご利益:縁切り・縁結び・厄除け・芸能上達など
花ごよみ:
住所:東京都新宿区左門町18
拝観:年中無休。9:00~16:30
拝観料:境内自由。
電話:03-3351-4812
URL:http://oiwainari.or.jp/
アクセス:
・地下鉄丸ノ内線 四谷三丁目駅出口3番より徒歩5分
・JR中央・総武線 信濃町駅下車、徒歩8分



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山門(さんもん)
扁額「於岩霊堂(おいわれいどう)」を掲げる。

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お狐さま(おきつねさま)

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手水鉢(ちょうずばち)
竜神様の手水と称しています。

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本堂(ほんどう)
本尊・宗祖日蓮大聖人御尊像をはじめ、鬼子母尊神像、弁財尊天像、大黒尊天像を安置しています。また、お岩の木像も安置していることから、於岩稲荷とも呼ばれています。実際のお岩は家庭を大事にした貞淑(ていしゅく)な妻であったということから陽運寺は縁結びの寺として知られ、悪運を切って良縁を結ぶご利益があるそうです。建物は、宝暦七年(1757)建造の薬師堂を移築。寄木造り。

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06a 本堂.JPG


06c 本堂.JPG


狛犬(こまいぬ)

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納経所(のうきょうじょ)

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福禄寿稲荷社(ふくろくじゅいなりしゃ)

10 福禄寿稲荷社.JPG


心願成就の石(しんがんじょうじゅのいし)
願いを込めて、一個づつ、叶玉(かのうだま:有償ですよ)を投げ入れるそうです。

11 心願成就の石.JPG


南無日蓮大菩薩碑(なむにちれんだいぼさつひ)

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お岩稲荷霊堂再建記念碑(おいわいなりれいどうさいけんきねんひ)

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百度石(ひゃくどいし)

14 百度石.JPG


於岩稲荷 水かけ福寿菩薩(おいわいなり みずかけふくじゅぼさつ)
お題目(南無妙法蓮華経)を唱えながら、お水をかけます。厄(やく)が除かれ、福寿(幸福)が訪れるそうです。

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お岩さま縁の井戸(おいわさまゆかりのいど)

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於岩稲荷社(おいわいなりしゃ)

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【御朱印】

「於岩稲荷」

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お岩稲荷(四谷) ~ 於岩稲荷田宮神社(おいわいなりたみやじんじゃ) ~

 お岩さんといえば、怖いイメージがありましたが、実は、江戸中で評判となるほどの素晴らしい奥様だった。という話もあるそうです。
お岩さん、知らぬ間にお化けにされてしまい、天国でビックリしているのでは・・・。

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         (三代歌川豊国「東海道四谷怪談」)

『東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)』

四谷怪談は、赤穂浪士(あこうろうし)の討ち入りを描いた『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』」の外伝として書かれた物語です。あらすじは以下の通りです。
塩谷判官(えんやはんがん:浅野内匠頭(あさの たくみのかみ))の元家臣・四谷左門(よつやさもん)には、お岩(いわ)とお袖(そで)という二人の美しい娘がいました。お岩は田宮伊右衛門(たみやいえもん)、お袖は佐藤与茂七(さとうよもしち)と結婚しています。左門は伊右衛門の過去の悪事(公金横領)を知り、お岩と別れさせようとしますが、伊右衛門に殺され、与茂七もお袖に横恋慕(よこれんぼ)していた薬売り・直助(なおすけ)に殺害されてしまいます。二人の死体を見つけたお岩とお袖に、伊右衛門と直助は仇を討ってやるといいくるめ、お岩は伊右衛門と復縁、お袖は直助と仮の夫婦となります。田宮家に戻ったお岩は、産後の肥立ちが悪く床に伏せってしまい、そんなお岩を次第に疎(うと)んじ、高師直(こうのもろなお:吉良上野介(きらこうずけのすけ))の家臣・伊藤喜兵衛の孫娘・梅との再婚を望んだ伊右衛門は、按摩(あんま)の宅悦(たくえつ)を脅(おど)してお岩と不義密通(ふぎみっつう)をはたらかせ、それを口実に離縁しようと画策します。喜兵衛に毒を盛られたのために容貌(ようぼう)が崩れたお岩を見て脅(おび)えた宅悦は伊右衛門の計画を暴露します。お岩は悶(もだ)え苦しみ、置いてあった刀が首に刺さって死んでしまいました。伊右衛門は伊藤家の婿に入るが、婚礼の晩に幽霊を見て錯乱(さくらん)し、梅と喜兵衛を殺害、逃亡します。お袖は宅悦に姉の死を知らされ、仇討ちを条件に直助に身を許すが、そこへ死んだはずの与茂七が帰ってきます。結果として不貞を働いたお袖はあえて与茂七、直助二人の手にかかり死んでしまいます。お袖の最後の言葉から、直助はお袖が実の妹だったことを知り、自害します。蛇山(へびやま)の庵室(あんじつ)で伊右衛門はお岩の幽霊と鼠(ねずみ)に苦しめられて狂乱します。そこへ真相を知った与茂七が来て、舅(しゅうと)と義姉の敵である伊右衛門を討ちます。



歌舞伎狂言の作者・四代目鶴屋南北(つるやなんぼく)の戯曲で、江戸時代末の文政八年(1825)に初演された「東海道四谷怪談」の主人公・お岩の伝承をもつ神社です。四谷左門町に幕府の御先手組同心(おさきてぐみどうしん)・田宮家(たみやけ)の武家屋敷があり、田宮家の邸内社として祀られたことに始まります。田宮家初代・又左衛門の娘・お岩はこの社を篤く信仰しており、田宮家の養子である夫・伊右衛門とは仲睦まじい夫婦であったそうです。また薄給であった夫を支え、商家に奉公に出るなどして家勢を再興したといわれています。お岩は、江戸時代初期の寛永十三年(1636)に亡くなりますが、近隣の人々の中には、田宮家復興が邸内社の御利益にあるとして「お岩稲荷」と呼び信仰する者が多くいました。評判の高まりを受け、田宮家内でも邸内社の傍(かたわ)らに小祠を造り「お岩稲荷」と名付けて崇敬したといいます。この頃には「於岩稲荷」「大巌稲荷」「四谷稲荷」「左門町稲荷」など様々な呼称で呼ばれていました。お岩が没してから約二百年後、四代目・鶴屋南北は「於岩稲荷」のことを知り、お岩が善人では面白くないと、江戸のいろいろな事件を組み込み「東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)」を創作します。江戸時代末の文政八年(1825)、歌舞伎狂言「東海道四谷怪談」が江戸中村座で初上演されると、江戸市中で根強い人気があった当社はさらに多くの参詣者を集めました。明治三年(1870)頃、「於岩稲荷田宮神社」と改称された後、明治十二年(1879)に火災により社殿が焼失。この時、「東海道四谷怪談」を得意とした初代・市川左團次(いちかわさだんじ)からの『芝居小屋の近くに移転してほしい』という要望もあり、左團次が越前堀(えちぜんぼり)に所有していた土地の寄進を受け遷座しました。これが於岩稲荷田宮神社(中央区新川二丁目25-11)です。昭和二十七年(1952)、この旧社地にも飛地境内社として当社が再建され現在に至っています。なお、現在も田宮家の子孫が宮司を務めています。


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社格等:無格社
※於岩稲荷田宮神社の飛地境内社
主祭神:
・豊受比賣大神(とようけひめのおおかみ)
・田宮於岩命(たみやおいわのみこと)
神紋:
ご利益:家内安全、無病息災、商売繁盛、芸道上達、開運悪事災難除など
花ごよみ:
住所:東京都新宿区左門町17-11
拝観:年中無休。9:00~17:00
拝観料:境内拝観自由
電話:03-3552-1068
URL:なし
アクセス:
・地下鉄丸ノ内線 四谷三丁目駅出口3番より徒歩5分
・JR中央・総武線 信濃町駅下車、徒歩8分



鳥居(とりい)
昭和二十七年(1952)の建立。

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手水舎(てみずしゃ)

03 手水舎.JPG


小祠(しょうし)

 お稲荷さんかな。

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社殿(しゃでん)
昭和二十七年(1952)の建立。

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お狐さま(おきつねさま)
昭和二十七年(1952)の造立。

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社務所(しゃむしょ)

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【言葉のお守り】

 社殿に、『本日、御朱印の書き手不在。言葉のお守りを持ち帰りください。』と張り紙があり、たくさん並べられている中から、私はこれをいただきました。

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 『思い入る心ひとつに寄りて楽しく』



お岩稲荷(越前堀) ~ 於岩稲荷田宮神社(おいわいなりたみやじんじゃ) ~
https://lucky-day.at.webry.info/201908/article_2.html




四谷の総鎮守 ~ 須賀神社(すがじんじゃ) ~

 社殿内に三十六歌仙絵(さんじゅうろっかせんえ)が飾られていました。
   写真は、境内に掲示されていた写真より・・・。

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四谷十八ヵ町の総鎮守。江戸時代初期の寛永十一年(1634)、赤坂一ツ木村(一ツ木)の清水谷にあった稲荷神社を江戸城外堀普請のため四谷にうつしたことにはじまります。寛永十四年(1637)、日本橋大伝馬町の鎮守として神田明神摂社に祀られていた牛頭天王(ごずてんのう、須佐之男命(すさのおのみこと)と習合)を合祀したことにより、江戸時代には「稲荷天王」「四谷牛頭天王社」と称されていました。明治元年(1868)の神仏分離により、別当寺の宝蔵院は廃寺となり、須賀神社に社号を改めました。社号は日本神話において、須佐之男命が出雲国(いずものくに)の簸の川上(ひのかわかみ)で八俣の大蛇(やまたのおろち)を退治しクシナダヒメを妻とした後、出雲国須賀に至って『吾(わ)れ此(こ)の地に来たりて心須賀、須賀し』といって、そこに宮を建てた故事に由来します。

社格等:郷社
主祭神:
・須佐之男命(すさのおのみこと:須賀大神)
・宇迦能御魂命(うかのみたまのみこと:稲荷大神)
神紋:抱き稲に左三つ巴
ご利益:
花ごよみ:
住所:東京都新宿区須賀町5番地
拝観:年中無休。9:00~17:00
拝観料:境内拝観自由
電話:03-3351-7023
URL:http://www.sugajinjya.org/
アクセス:
・東京メトロ丸ノ内線四谷三丁目駅下車、徒歩7分
・JR・地下鉄四ツ谷駅より徒歩10分



男坂(おとこざか)

 この坂が劇場アニメ『君の名は。』の舞台だそうで、
 階段の途中でたくさんの外国人が写真をパチパチ。

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女坂(おんなざか)

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大鳥居(おおとりい)
平成二年(1990)の建立。

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狛犬(こまいぬ)

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神輿庫(しんよこ)

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手水舎(てみずしゃ)

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社殿(しゃでん)
主祭神の須佐之男命・宇迦能御魂命のほか、左右には、天照大神(あまてらすおおかみ)と須佐之男命の誓約(うけい)で生まれた五男神(天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、天穂日命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、熊野樟日命(くまのくすびのみこと)、活津彦根命(いくめつひこねのみこと))と宗像三女神(多紀理姫命(たぎりひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、多岐都姫命(たきつひめのみこと))が祀られています。また、大鳥神社(日本武命(やまとたけるのみこと)・天日鷲大神(あめのひわしのおおかみ)・大鳥連祖大神(おおとりのむらじおやのおおかみ))も祀られています。

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末社 大国社(だいこくしゃ)
社殿の右脇に鎮座。大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀る。

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梯子塚(はしごづか)
江戸時代の火消し五番組「く組」の梯子塚。

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祖霊社(それいしゃ)

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狛犬(こまいぬ)

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社務所(しゃむしょ)

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神楽殿(かぐらでん)

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飯塚正兵衛翁像(いいづかしょうべいおうぞう)
スーパーマーケット 丸正の創業者で、須賀神社に貢献されたようです。昭和五十七年(1982)の造立。

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慰霊碑(いれいひ)
日清・日露戦争および太平洋戦争犠牲者の慰霊碑。昭和五十五年(1980)の造立。碑銘は水戸徳川家出身の政治家で、故・徳川宗敬(とくがわむねよし)の筆。

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天白稲荷社(てんぱくいなりしゃ)
主祭神の倉稲魂大命(うかのみたまのおおみこと)のほか、天照大御神(あまてらすおおみかみ)・応神天皇(おうじんてんのう)・神功皇后(じんぐうこうごう)・大山祇神(おおやまつみのかみ)・別雷神(わけいかずちのかみ)・天之水分神(あめのみくまりのかみ)・国之水分神(くにのみくまりのかみ)・高?神(たかおかみのかみ)・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)・大宮賣神(おおみやのめのかみ)・大年神(おおとしのかみ)・御年神(みとしのかみ)・菅原道真(すがわらのみちざね)・疱瘡神(ほうそうのかみ)・天之児屋根命(あめのこやねのみこと)・猿田彦神(さるたひこのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)を祀る。

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 ここにも、狛犬さんが。

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注連柱(しめばしら)
昭和三十二年(1957)の建立。

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【御朱印】

「須賀神社」

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潮干観音 ~ 真成院(しんじょういん) ~

 お寺とは思えない外観。

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通称、潮干観音(しおひかんのん)。安土桃山時代の慶長三年(1598)祈祷僧である清心法印によって開山。江戸城外濠(そとぼり)工事のため、幕府に替地として与えられた四谷に移転し、その後、本堂と観音堂が失われてしまったものの、天保八年(1837)に再建。昭和二十年(1945)五月、空襲によってふたたび焼失するも戦後に再建。昭和四十六年(1971)に、現在の寺院に生まれ変わりました。先代の住職・織田隆弘は、正純密教を唱えて密門会を設立し、癌(がん)などの難病に苦しむ人々の相談に応じて霊験が多かったことから、癌の駆け込み寺としても知られています。


宗派:高野山真言宗
山号:金鶏山(きんけいざん)
寺号:海繁寺(かいはんじ)
院号:真成院(しんじょういん)
寺格:
寺紋:
御本尊:
・阿弥陀如来
・金剛界大日如来
・釈迦如来
札所本尊:
・潮干十一面観音像(江戸三十三観音)
ご利益:
札所:
・江戸三十三観音霊場18番
・御府内八十八ヶ所霊場39番
・関東九十一薬師霊場13番札所
花ごよみ:
住所:東京都新宿区若葉二丁目7-8
拝観:年中無休。9:30~16:30
拝観料:境内自由。
電話:03-3351-7281
URL:http://www.shinjoin.jp/
アクセス:JR、地下鉄東京メトロ丸の内線・南北線四谷駅より徒歩8分
写寺:四国八十八箇所第39番 延光寺(えんこうじ)
御詠歌:
『なむ薬師諸病悉除の願こめて 詣る我が身を助けましませ』
(江戸三十三観音霊場)
『世も人も 変る浮世に 住む中に 変らぬ利益 潮踏の里』
御真言:十一面観音 『おん まか きゃろにきゃ そわか』



延命地蔵菩薩(えんめいじぞうぼさつ)
平成五年(1993)に造立。

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雨宝稲荷社(うほういなりしゃ)
真成院を鎮守社。平成十八年(2006)2月に改修されました。大きな福徳を授けてくださる雨宝稲荷大明神は、札所本尊の十一面観音と関係の深い雨宝童子(うほうどうじ)にちなむ神さまです。

04 雨宝稲荷社.JPG


線刻石碑(せんこくせきひ)

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 観音さまとお地蔵さま、そして、弘法大師?のお姿が刻まれています。

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玄関(げんかん)
玄関を入って左奥の本堂には、本尊の阿弥陀如来・金剛界大日如来・釈迦如来の三尊像のほか、御府内八十八箇所札所本尊の弘法大師像、先代隆弘師像なども安置されています。二階には加持殿(かじでん)があり、関東九十一薬師霊場札所本尊の薬師如来と胎蔵界大日如来(松久朋琳仏師作)が、 右脇には不動明王、左脇には愛染明王(大森昭夫仏師作)が祀られています。

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手水鉢(ちょうずばち)

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賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)

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石段(いしだん)

 観音堂は、建物脇にある石段をのぼった屋上にあります。

12 観音堂入口.JPG


狛犬(こまいぬ)

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除闇遍明碑(じょあんへんみょうひ)
遍く(あまねく)すべてのものを照らし、闇を消すという意味です

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献眼慰霊碑(けんがんいれいひ)
死後に角膜を提供した方々への慰霊碑。昭和四十九年(1974)の造立。

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手水鉢(ちょうずばち)

 なぜか、猫。

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観音堂(かんのんどう)
本尊・潮干十一面観音像(しおひじゅういちめんかんのん)を安置する。昔、真成院の近辺は海が近かったため、観音さまの台石が潮の干満によって常に濡れていたというのが、その名の由来という。真成院脇の「観音坂」の名称の由来ともなっています。本尊のほか、聖天像(厨子内)、仏師の松本明慶(まつもとみょうけい)作の毘沙門天像、大森昭夫(おおもりあきお)作の弁才天なども安置しています。

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16b 観音堂.JPG


 奇影弁才天。

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【御朱印】
(江戸三十三観音霊場)

「潮干十一面観世音」

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服部半蔵ゆかりの寺 ~ 西念寺(さいねんじ) ~

 忍者として有名な服部半蔵。実は、徳川家に仕えた武士。
   お父さんの初代服部半蔵だけが忍者だったそうです。

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服部半蔵正成(はっとりはんぞうまさなり)の開基した寺として知られています。同寺は服部氏の菩提寺でもあります。正成が守役を務めた徳川家康(とくがわいえやす)の長男・信康(のぶやす)の供養のために開かれました。天正七年(1579)、織田信長(おだのぶなが)によって、信康の切腹を命じられた際、正成が介錯人(かいしゃくにん)を務めたという。天正十八年(1590)、家康は江戸に入国し、江戸城を築き本拠を置きました。正成も、これに随伴し江戸に入国しましたが、信康の御霊を弔うために剃髪出家(ていはつしゅっけ)し、名を「西念」と号しました。そして麹町清水谷(今のホテルニューオータニ近く清水谷公園付近)に庵を設け、遠州以来奉持していた信康の遺髪をここに埋めて、専称念仏の日々を送り、55歳で亡くなります。その後、同所にお堂が建立され、正成の法名「専称院殿安譽西念大禅定門(せんしょういんでんあんよさいねんだいぜんじょうもん)」からとり、山号・院号・寺号とされました。寛永十一年(1634)江戸城外廊拡張に伴う外濠(そとぼり)新設のため、幕府の政策により濠の外に集団的に各寺院を配置し、西念寺もその際に現在地に移されました。


宗派:浄土宗
山号:専称山(せんしょうざん)
院号:安養院(あんにょういん)
寺格:
寺紋:
御本尊:阿弥陀如来
ご利益:
花ごよみ:
住所:東京都新宿区若葉二丁目9
拝観:年中無休。
拝観料:境内自由。
電話:03-3351-0662
URL:https://www.yotsuya-sainenji.or.jp/
アクセス:
・東京メトロ丸ノ内線 四谷三丁目駅下車、徒歩8分
・JR 四ツ谷駅から徒歩8分



石柱門(せきちゅうもん)

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大イチョウ

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本堂(ほんどう)
本尊・阿弥陀如来像を安置する。昭和二十年(1945)の戦災で焼失、昭和三十六年(1961)11月に本堂が再建されました。

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服部半蔵之墓(はっとりはんぞうのはか)〔区指定史跡〕
宝篋印塔(ほうきょういんとう)。名は正成。正成の父・保長(やすなが)は忍者の頭領でしたが、正成自身は武士として徳川家康に仕え、姉川(あねがわ)の戦いや三方ヶ原(みかたがはら)の戦いなどで活躍。本能寺の変に際しては、堺に滞在していた家康を護衛し、無事に三河へ帰還させました。家康の関東入国後は、与力 30騎、伊賀同心 200人を支配し、禄高8000石の旗本となりました。また槍(やり)の名手として「鬼半蔵(おにのはんぞう)」の異名をとり数々の武功を重ねました。江戸城の半蔵門(はんぞうもん)の名は、門外に半蔵の屋敷があったことに由来します。

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岡崎三郎信康供養塔(おかざきさぶろうのぶやすくようとう)〔区指定史跡〕
服部半蔵が、徳川家康の長男・信康(岡崎三郎信康)の菩提(ぼだい)をとむらうため、文禄二年(1593)に造立した五輪塔形の供養塔。高さ 269㎝。

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石仏群(せきぶつぐん)

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客殿(きゃくでん)

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会館(かいかん)
葬祭等を行う多目的ホール。

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西島義豊上人句碑(にしじまよしとよしょうにんくひ)
西念寺第二十六世。

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 『ははのする 通りに座る 佛の灯』



【御朱印】

「鬼半蔵」

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東京・京橋地域の鎮守さま ~ 鐵砲洲稲荷神社(てっぽうずいなりじんじゃ) ~

 大鳥居の脇に鎮座する小ぶりのかわいい狛犬さん。

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平安時代時代初期の承和八年(841)、凶作に悩む荏原郡桜田郷の住民が産土神(うぶすながみ)を生成太神(いなりのおおかみ)として祀ったことに始まる。入江埋立に伴い京橋に遷座し、更に室町時代末期の大永年間(1521~27)に後の新京橋(現・銀座一丁目付近)へ遷座し、八町堀稲荷神社と称しました。江戸時代初期の寛永元年(1624)、鐵砲洲に遷座し、もとあった八幡神社を摂社とします。鉄砲州の地は、徳川家康(とくがわいえやす)入府の頃は、既に鉄砲の形をした南北およそ八丁の細長い川口の島であり、今の湊町や東部明石町の部分がこれにあたります。寛永の頃はここで大砲の射撃演習をしていたので、この名が生まれたとも伝えられています。寛政二年(1790)には富士塚が築造され、人気を博しました。江戸時代後期には吉田家により湊神社と名付けられ、また「浪ヨケイナリ」とも称されました。明治元年(1868)、築地外国人居領地が開設された関係で、現在に移転しました。冬至の開運祈願祭では「金銀富貴」の神札が配られる事でも知られています。

社格等:旧郷社
主祭神:
・稚産霊神(わくむすびのかみ)
・豊受比売神(とようけめのかみ)
・宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)
神紋:
ご利益:商売繁盛、事業成功、五穀豊穣、水難除け、海上安全など
花ごよみ:
住所:東京都中央区湊一丁目6-7
拝観:年中無休。
拝観料:境内拝観自由
電話:03-3551-2647
URL:http://teppozujinja.or.jp/
アクセス:
・JR京葉線・東京メトロ日比谷線 八丁堀駅下車、徒歩5分
・東京メトロ有楽町線 新富町駅下車、徒歩10分
兼務社:歌舞伎稲荷神社(歌舞伎座内)など



大鳥居(おおとりい)

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社号標(しゃごうひょう)

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石灯籠(いしどうろう)

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百度石(ひゃくどいし)
大正十四年(1925)の造立。

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手水舎(てみずしゃ)

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 手水舎には、故・中川正光宮司のお言葉が張り出されています。
 気を付けなければ・・・。

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 『 反省
  威張る時には神に捨てられ
  欲張る時には金に背かれ
  妬むときには友を持ち得ず
  怒るときには己を失うのだ  』


社殿(しゃでん)〔区登録文化財〕
主祭神の稚産霊神・豊受比売神・宇迦之御魂神を祀る。拝殿・幣殿(拝殿と本殿の間にある幣帛をささげる社殿)・本殿がつながる権現造。拝殿には鉄筋コンクリート造の地階があり、境内右手の社務所と地下道で連結する構造となっています。最奥部の本殿は鉄筋コンクリート造銅板葺で、正面の柱間の数が三つある三間社流造です。大正十二年(1923)、関東大震災で焼失、昭和十年(1935)の再建。

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狛犬(こまいぬ)

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天水桶(てんすいおけ)
『六番組』とは、江戸町火消しの組番号です。

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二宮尊徳像(にのみやそんとくぞう)

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社務所(しゃむしょ)
住居を兼ねた木造総二階建(一部地階あり)。平成二十九年(2017)の建立。

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力石(ちからいし)〔区登録文化財〕

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末社 富士浅間神社(ふじせんげんじんじゃ)
区内唯一の富士塚〔区登録文化財〕の頂上に鎮座しています。寛政二年(1790)に築造されて人気を集めました。明治三年(1870)に新地に移築され、明治七年(1874)再築され、以降三度境内で移築されました。高さは5.4m。富士山の山開きに合わせて、7月1日のみ登拝が可能です。

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神楽殿(かぐらでん)
昭和十二年(1937)の再建。

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摂社 八幡神社(はちまんじんじゃ)
向かって左から、天満社・三輪社・浅間社・八幡神社・琴平神社・住吉社が祀られています。堂内両脇に小ぶりの隋身像が奉納されています。

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和平神繆斌顕彰碑(わへいしんみょうひんけんしょうひ)
未遂に終わったが、太平洋戦争末期に重慶の中華民国政府(蒋介石総統(しょうかいせきそうとう))と和解仲介に当たった南京政府の政治家・繆斌を顕彰した碑。

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東久邇宮・蒋介石使者繆斌談笑画像碑(ひがしくにのみや・しょうかいせきししゃみょうひんだんしょうがぞうひ)

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18a 東久邇宮・蒋介石使者繆斌談笑画像碑.JPG


針塚(はりづか)

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【御朱印】

「鐵砲洲稲荷神社」

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